先日、息子と電車に乗った。
2つ並んだ席は空いていなかったのだけれど、40代くらいの男性の両隣が空いていた。
ひとまず息子を座らせた。
男性がひとつ横にずれてくれれば、私も隣に座れる。
そんな期待をしていた。
でも、男性は動かなかった。
そうこうしているうちに、ほかの空いていた席も少しずつ埋まっていった。
それでも、男性のもう片方の隣だけは空いたままだった。
偶然かもしれない。
もしかしたら、男性がひとつずれてくれれば親子で座れるから、と周りの人がなんとなく席を空けていたのかもしれない。
とにかく、男性の隣には席があった。
それなのに、男性はずれなかった。
気が利かないな。
家の中でも、こんな感じなのかな。
私は心の中で、そんなことを考えていた。
ところが、しばらくして男性が目を閉じた。
その瞬間、私の中で何かの風向きが変わった。
これは狸寝入りだ。
なんとなく、そう思った。
何駅か後に、男性の隣の席に一人の人が座った。
すると男性は、安心したように目を開けた。
そして何事もなかったようにスマホをいじり始めた。
やっぱり狸寝入りだった。
男性は気づかなかったのではない。
気づいていたのだ。
私たち親子が隣に座りたがっていることも、たぶんわかっていた。
でも、ずれたくない。
それなら、それでいい。
「私はずれません」と普通にしていればいいだけの話だ。
なのに、目を閉じた。
寝たふりをした。
私は急にいたたまれなくなった。
ああ、やめてくれ。そんなふうにしなくていいのに。
ずれたくないなら、ずれなくていい。
私たちが隣に座れなくても、それだけのことなのだから。
なのに、この人は私たちの存在を意識してしまった。
私たちも、この人が意識していることに気づいてしまった。
なんだか、見てはいけないものを見てしまったような気がした。
さっきまで私は「気が利かないな」と思っていた。
でも、違ったのかもしれない。
この人は、気が利かないのではなく、気づきすぎて困っているのかもしれない。
ずれたほうがいいこともわかっている。
でも、ずれたくない。
その両方がわかってしまうから、どちらも選べず、目を閉じる。
そう考えたら、急にこの人が気の毒になった。
私たち親子が、この人に無言のプレッシャーをかけてしまったのだ。
男性は、それを感じ取ってしまった。
そして私は、そのことまで感じ取ってしまった。
こういうことが、私は昔から苦手だった。
誰かが気まずそうにしていると、こちらまで居心地が悪くなる。
誰かが失敗すると、本人以上に恥ずかしくなる。
誰かが「どうしよう」と固まっていると、その場にいるだけで胸がざわつく。
そして、どうしてそうなったのかまで考えてしまう。
考えなくていいところまで考えてしまう。
繊細さというのは、もっと人に優しくなるためのものだと思っていた。
でも、そうとは限らない。
気づいてしまう。
気づいたことが気になる。
気になったことを、自分の責任のように感じる。
そして勝手に疲れる。
私は、そういうことをずいぶん長くやってきた気がする。
だから、あの男性の狸寝入りが、少しだけ他人事には思えなかった。
もっと清々しく生きられる人に、私は昔から憧れている。
人に親切にするときは、何も考えずに親切にできる人。
したくないことは、したくないと言える人。
気が利かないときには、気が利かないままでいられる人。
そして、そんな自分を後から何度も責めたりしない人。
私は、そういう人たちをずっと羨ましいと思ってきた。
気づいたことのすべてを、自分の責任にしないで生きられる人。
そういう人になりたいのかもしれない。
あの男性が本当はどんな人なのか、私にはわからないけれども。
