教会に拳銃持ってくるおじさん

――神とホルスターのあいだで祈る人


日曜日の朝、アラバマの小さな町に鐘の音が鳴り響く。
教会に集う信者たちは、日々の悩みを置きに、あるいは神の言葉を受け取りに、清らかな気持ちでドアをくぐる。
しかし――

その静寂を破って現れたのが、腰に拳銃をぶら下げたおじさんだった。


■ その名は“ラリーさん(仮)”

町の人は彼を“ラリーさん”と呼ぶ。
実年齢はたぶん60代後半。
ヒゲはボーボー、背中にはアメリカ国旗のパッチが貼られたGジャン、そして腰にはガッチリと革製ホルスターに収まった.45口径の1911
「これがないと落ち着かんのや」と言う彼に対し、誰一人として「それ、あかんやろ」と言わないのがアラバマの不思議な優しさ(というか慣れ)。


■ 教会と拳銃、矛盾のようで矛盾してない?

たいていの日本人が聞けば「教会に拳銃!?」と驚くだろう。
しかしここアラバマでは、信仰と銃は共存している。むしろ二柱の信仰対象といっても過言ではない。
「主は我らを守る、でも念のため1911も持っとく」みたいな感じである。

ラリーさん曰く、

「神が守ってくれる。でもワシが守らなあかんときもある。」

要するに、神に祈りながらもセーフティは外さない。それがアラバマスタイル。


■ 最初の出会い:その日、私は二度祈った

私がラリーさんと出会ったのは、ある夏の日曜。
冷房の効いた教会に入り、席に座ろうとしたとき、後方のベンチにホルスターのグリップが見えた
一瞬「終わった」と思った。
でもよく見ると、腰に拳銃を携えたラリーさんが賛美歌を小声で歌っていた

なんやこのギャップ。

前にいる婦人が平然と聖書を開いてるのもすごい。
完全に日常風景らしい。むしろ、「ああ、今日もラリーさんおるな〜」的な雰囲気。

私も気を取り直して座り、説教を聞いたが、牧師が「敵を赦しましょう」と言うたびに、
「それは銃持ってない人が言えるセリフやで…」と心の中でツッコんでいた。


■ ラリーさんの拳銃=愛情表現?

ある日、勇気を出してラリーさんに聞いてみた。

「なんで教会に拳銃持ってくるんですか?」

すると彼は一言、

「これはワシの一番の相棒や。主とおんなじぐらい信頼しとる。」

名言なのか迷言なのか分からんが、たぶん彼の中では信頼=常に腰にあるものなんやろう。

しかも聞いてびっくり、その拳銃、実弾は抜いてあるらしい。
「教会は聖域や。弾は車に置いてきとる」とのこと。
つまりラリーさんにとっては、これは「護身具」というより「お守り」なんやな。

日本人がお地蔵さんの前で手を合わせる感覚と似てるのかもしれん。
ただしホルスター付きで。


■ 町のみんなの反応

面白いのが、誰も驚かんことや。
教会の受付のおばちゃんなんて、「ラリーさん、今日のグリップはええ木目やねぇ〜」と談笑していた。

子どもたちも普通に「ねえねえ、今日の銃はどこの?」と聞いていた。
ラリーさんはニッコリして、「キンバー製や、でも撃たんよ。今日は祈りやからな」と笑ってた。

※当たり前やけど教会撃ったらダメです。


■ 結局、この人は怖いのか優しいのか

答えは――両方

ラリーさんは、厳つい外見優しい心を持った、アラバマの典型的な「守り人」やと思う。
拳銃は常に腰にあるけど、撃つより語る方が得意
でもいざとなれば、誰よりも早く動くタイプ。

たとえば嵐の日、教会の屋根が剥がれかけたとき、
真っ先に外に飛び出して脚立とロープで修理を始めたのが彼だった。
その腰には、やっぱり拳銃があった。雨に濡れながら、空に向けて静かに祈っていた。


■ 結論:アラバマには、ラリーさんが必要だ

ラリーさんが教会に拳銃を持ってくるのは、信仰心と責任感が合体した結果や。
彼にとっては、それが「正義」であり「祈りの形」なんやと思う。

都会でこんなことやったら即通報やけど、ここではむしろ安心材料
「今日もラリーさんおるな」=「教会は安全やな」ってこと。


そんなわけで、今日もアラバマのどこかの教会では、
神の言葉とともに、カチャ…というホルスターの音が静かに鳴り響いてる。

アーメン。そしてセーフティオン。