「合唱コンクール=発声ビンタ地獄」

――音程より先に、鼓膜と魂が震えた。

中学校生活で避けて通れないイベント――合唱コンクール
普通の学校では、先生がピアノを弾き、生徒がリコーダーのメロディに合わせて歌う“文化的イベント”である。

だが、我が校では違った。

それは軍隊の「集団発声訓練」に近かった。
なぜなら、我々には、あの**渡辺先生(仮名)**がいたからである。

体育教師でありながら、なぜか“声”にも異常にこだわりを持つこの男は、合唱の練習期間になると突然、教室に現れ、こう言い放った。

「お前らの声は“命の響き”がねぇ!!」

…また始まった。


発声=気合い それがすべての基準だった

普通、合唱といえば、音程・ハーモニー・強弱表現などが重視される。
が、渡辺先生にとって重要なのは、「気合いが乗ってるかどうか」。それだけだった。

初日の練習、ソプラノパートが出だしの音を小さめに歌った瞬間――

「今の誰だ!今“命を捨てた音”出したの誰だ!?」

そして標的になったのは、声変わり真っ最中の男子。

「声が出ねぇなら、腹から出せ!!」

バン!!

ビンタ。

※なぜか「発声=横ビンタ」になっている。


怒号とビブラートの狭間で

練習は放課後も続いた。
ピアノ伴奏の音が鳴り始めると、教室には謎の緊張感が走る。

「一音一命だ!!」
「隣より大きく!いや、魂で勝て!!」

誰もハモりを気にしてない。
勝っていたのは声量だけ。

ある日、男子が「ア~~~♪」とビブラートをかけたところ、先生が止めた。

「ふざけてんのか?」

「いえ、自然と揺れました…」

「魂が揺れただけだろうがァァァ!!」

再びビンタ。


私のソロパート地獄

そう、私はなぜかソロパートに選ばれてしまった。
理由は「声が通る」から。

渡辺先生曰く、

「お前の声は、戦場での指揮に使える

※歌じゃなくて戦場。怖い。

本番まであと3日。私は緊張で声が震え始めた。

先生はその様子を見て言った。

「震えるならな、いっそ泣け!!それが本物の声だ!!」

いや、泣いたらソロどころじゃないんですけど。


練習風景=戦場

  • ピアノ:情緒的な伴奏

  • 教室:叫び声、怒号、ビンタ音

  • 生徒:涙、声枯れ、貧血

ある日、音取りミスをした女子に渡辺先生が言った。

「お前の音程は“背信行為”だ!!」

もう音楽じゃない。宗教裁判だ。


合唱コンクール本番

そして、迎えた本番当日。
クラス全員、前夜から胃痛。声は出ない。顔は青い。

渡辺先生は開演前に私たちの前に立ち、こう言った。

「今からステージに上がる。
そこは“戦場”だ。歌じゃない。お前らの“魂の雄叫び”を届けてこい」

いや、これ区民ホールなんですけど?


歌い出し=地獄の開幕

ピアノの音に合わせて歌い始めた瞬間、
1列目の男子が緊張で声を外す。

…次の瞬間。

渡辺先生、客席から立ち上がる。

「声が死んどるぞォォォ!!!!」

ホール全体が凍りつく。審査員も苦笑い。
歌いながら涙ぐむ生徒続出。だが、歌い切った。


結果発表:優勝ならず

結果は、惜しくも2位
優勝したのは、柔らかいハーモニーと美しいピッチが評価された隣のクラス。

渡辺先生、無言でスコア表を破り捨てた。

「上手いだけの歌に、心はない!!」

そして、我々全員にビンタ。

「頑張った証」らしい。
いや、こちとらすでに鼓膜も魂も破れてます。


そして今、あの時の“声”を思い出す

時は流れ、今では私も社会人。
ふとカラオケで合唱曲を入れると、体が震える。

「歌う=怒られる」というトラウマが蘇るのだ。

だが、不思議なことに、
あの時の声は、今でも心に響いている。

なぜか?

それは、恐怖が記憶に焼きついたから。

愛じゃない。情熱でもない。
純粋な恐怖だけが、あの“音”を私に刻んだのだ。


渡辺先生、あなたに言いたいことがある

先生。
あなたはよく言っていましたね。

「声は心だ。心が腐れば、声も腐る」

今ならわかります。

“ビンタされると、声が震える”んです。

そして、こうも言ってましたね。

「音楽は自由だ。だからこそ、規律が必要なんだ」

いや、それはもう矛盾の極みです。


まとめ:この“発声”は教育か、拷問か

渡辺先生の合唱指導、それは音楽ではなく、精神修行だった。
それでも私は歌った。泣きながら、震えながら、恐怖の中で。

なぜか?

それは、「怒られるのが怖かった」から。ただそれだけだった。

愛なんてなかった。
情熱なんて嘘っぱちだった。

私たちは、恐怖で歌わされていた。

だが、その恐怖こそが、
いまでも腹から声を出せる理由なのかもしれない。

ありがとう、渡辺先生。
でも――あれは教育じゃなくて、“指導付きのホラー”でした。