敬老の日に思うこと 〜じいちゃんばあちゃんは地球最強説〜

9月の第三月曜日といえば「敬老の日」。
学校で習ったとき、「お年寄りを敬う日です」と先生に言われたものの、当時小学生の僕はピンと来なかった。
「え?うちのばあちゃん、毎日敬わなあかんくらい怖いけど?」と心の中で突っ込んだのを覚えている。


敬老の日=プレゼント地獄

敬老の日といえばプレゼント。
でも小学生の頃の僕にそんなお金はない。
結局「肩たたき券」を渡すわけだが、これがまた地獄。

「はい、肩たたき10分間券!」と渡すと、ばあちゃんはニヤリと笑って言う。
「ほう、10分やと?今日の腰の痛みは30分コースやな」

勝手に延長すんな。
しまいには「肩、腰、ふくらはぎ」と全身コースに進化する。
これもう完全にブラック労働だ。

しかも途中で「力が足りん!」とダメ出しされる。
お年寄りを敬うつもりが、逆に僕が修行僧みたいに扱われていた。


じいちゃんの“健康自慢”地獄

じいちゃんは敬老の日になると、なぜか健康アピールを始める。
「ワシな、まだ逆立ちできるんや」
そう言って畳の上で逆立ち。
案の定、頭から崩れ落ちて「ゴンッ」と鈍い音が鳴る。

「じいちゃん大丈夫!?」と心配すると、なぜか得意げに言う。
「ほら見ろ、頭はまだ硬い」

いや、それ健康じゃなくてただの頑固や。

さらに「ワシは酒を毎日飲むから健康や」と豪語。
この辺はうちの親父と同じDNAを感じる。
血筋って恐ろしい。


敬老の日=カラオケ大会

親戚一同で集まると、必ず「敬老カラオケ大会」が開催される。
トップバッターは当然じいちゃん。選曲は毎年同じ、「北酒場」。

ところがマイクを握ると、歌じゃなくて朗読を始める。
「♪きーたーさかばでー 出会ったーときにー」
いや、リズムどこ行った!?
完全にポエム朗読会。

でも周囲は「じいちゃん、声が渋いなぁ!」と拍手喝采。
僕だけ心の中で「これ、演歌ちゃう。暗唱や」と突っ込んでいた。


敬老の日と親父の暴走

親父も敬老の日には張り切るタイプだった。
「今日はワシも敬ってくれや!」と突然言い出す。
いや、まだ50代やろ。

そのうえ、敬老の日にちゃっかり自分で日本酒を買ってきて、
「これは“百薬の長”や。今日は飲み放題や」
と自分で飲み、自分で酔いつぶれる。

結局、家族が介抱する羽目になり、最後は母の冷たい一言で締めくくられる。
「アンタは“百薬の長”やなくて“百厄の長”や」

……言い得て妙すぎて、僕は笑いをこらえられなかった。


本当の敬老って何だ?

子どもの頃は「肩たたき=地獄労働」「じいちゃん自慢=迷惑」「親父暴走=カオス」と、敬老の日は笑いと混乱のイベントだった。

でも大人になって思うのは――
じいちゃんばあちゃんが無茶苦茶でも、親父が暴走してても、それを笑えるうちは幸せなんだってことだ。

「敬う」って、ただおとなしく感謝するだけじゃなくて、ツッコミ入れたり笑い合ったりすることなんじゃないかな。
少なくとも僕の家では、そうだった。


最後に

敬老の日は、年寄りを大切にする日……なんだけど、僕にとっては「笑い死ぬ日」でもある。
じいちゃんは逆立ちして倒れるし、ばあちゃんは肩たたき労働を強いるし、親父は勝手に百薬の長を決め込む。

――でも、そんな無茶苦茶な人たちのおかげで、僕は今も元気に笑って生きている。