資本とは、資本主義とは、新自由主義とは、いかにして世界に支配を広げていき、どのような変化を人間社会に与えたのか。本書で描かれているそれを読んでいるうちに、資本と呼ばれる怪物が地球をずるずると動き回り肥大していくようなイメージが脳内で描かれていくと思う。

 本書は別に資本主義が終わるぞーという警告本でもなんでもなく、新自由主義的資本主義を批判的に検討した上でポスト資本主義世界への道標を提示している。切り口としてはハーヴェイ色が強く、私的所有権という側面からの批判が印象に残る内容となっている。

 本書でも度々言及されており、マルクスから言われていることでもあるが、資本主義という重心をずらすためには、所謂労働者が全員で反旗を翻すという革命運動を起こし、人間主義的な社会を築くのだというストーリーが必要だと見られる。

 では、現状の社会における、人間主義の実現を邪魔するものとは何か。これは、根本的には、貨幣そのものではないかと考えられるのではなかろうか。資本主義、私的所有権の源泉的な新自由主義、これらの萌芽、発展を促進させたのは貨幣である。それと同時に、新自由主義的資本主義が貨幣を発展させていったという側面もあるが。

 何千年という期間で見た場合、現代貨幣が手にした(人間が手にしたとも言える)圧倒的な能力というのは、あらゆる自然、製造物に対して、交換価値と使用価値が比較的ずれない水準で決定が可能となった、プライシング能力かと思う。そして、人々はプライシングさえできればそれはもう商品だと認識し、市場経済の肥大化が止まらなくなった。

 ここでの問題は、プライシングが人間の労働自体にも跳ね返ってくるという点と、交換価値と使用価値を意図的にずらすことも可能になったということだ。この2点から、資本主義における労働者の立場は、本来の自然な人間の姿からはかなり遠ざかってしまったように感じる。

 つまり、人間主義の確立と決済貨幣からの卒業というのはある程度セットで起こりうる事態とも考えられ、少なくとも決済手段の多様化が爆発中の現代に起こりうることではなさそうかと感じるのだ。