生きるとは社会に従うか自然に従うかの二択である(追記 | スパチーの独り言

スパチーの独り言

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令和 6年 4月 15日 月曜日、晴れ。


今日は 鹽竈神社

東日本大震災のあと線香の束を抱えて鎮魂祈祷にみちのくを旅した、その際に伺った仙台はいい神社仏閣が多く、鹽竈もその一つだった。塩釜駅から歩いたのだが…駅には洪水の悲惨な状況を伝える写真とその跡が残っていた。もちろん塩釜に限らずこの一帯はすべてそうなのだが_キツい。現実と思えない荒れ狂う海に飲まれる街。そして駅はもちろん、そこかしこに避難手順の看板が掲げられている。だが伝説の鹽竈神社は被害を免れてる_そこだけ小高い丘の上にある。
鹽竈神社1 鹽竈神社2鹽竈神社3

この御朱印は見開き2頁だが、現在というか通常は陸奥国一宮と書かれる。1頁なら奉拝だけ_だが大震災を受け東北大打撃の直後だったため、ご覧の様に「東北鎮護」↑にて頂けた。
塩竈といえば当然ながら清塩を頂いて来た。塩釜にある鹽竈神社だが、正式には志波彦神社鹽竈神社である。そしてこの時期といえばここにだけ存在する天然記念物シオガマザクラだ。御朱印の日付の通り伺ったのは3月25日で桜を眺めることが出来た。仙台では他にも国宝指定されている大崎八幡宮、伊達政宗で有名な青葉城にある護国神社、仙台大神宮、桜岡大神宮なども伺ったが見どころは多い。ちなみに鹽竈の階段は202段ある。 鹽竈神社4
どれも伊達政宗に関係しているが、鹽竈はずっと古い1400年前から始まる。そして東北の神社といえば蝦夷討伐の拠点でもあった…が、国宝になってる大崎八幡宮は阿弥陀如来を祀ってる。

さて。

最近は礼儀作法関連の記事を書いていますが_どれだけ現代の若者がそうした伝統の作法を知っているかといえば、かなり怪しいですよね。そもそも畳や障子が無い家で育っていたり、おそらくそんなご家庭では仏間も仏壇も無く、急須さえ持ってないかもしれない。そうした環境で正座とは、お辞儀や三つ指とは、なんて言ったところで両親も知らない可能性が高い。時代は変わり礼儀作法はSNSのマナーにその座を受け渡した。昭和という前々時代の人間は消えゆくのみだな。

引き戸は現代でも使われているし学校の教室の戸なんかも多くは未だそうだろう。それを足で開けてはいけない_なんて言われた人もいるかもしれない。また畳や敷居のへり、境目を踏んではいけない、なんて言われたことがある人もいるかもしれない。だが…引き戸=敷居、襖は日本文化で当然昔からあるものと思われているが、一般庶民の家に普及したのは江戸時代である。畳や布団も同じだ。確かに古事記にも畳は登場するが、鎌倉時代までの畳とはムシロ=ゴザであって巻いてしまえる類のもの。ちゃんとした畳は宮中や荘園くらいなもので、それでさえ板の間に置いて使うものだった。引き戸や敷居は室町時代の頃、禅がブームになって登場したが、やはり庶民に普及するのはもっと後の話し。時代劇で当たり前に畳や障子が出て来るので勘違いしてるが、そんなものだ。部屋に畳を敷詰めてたのは大名や越後屋、吉原くらいなもので、近年まで庶民は板の間、誰もが畳を敷詰めるようになったのは100年前くらいなもの。畳を敷詰めた部屋をわざわざ座敷とよぶのは…遊女の部屋または現代でいうラブホの意味で、それだけ庶民には手の出ない豪華な建物だったということ。庶民が畳を手に入れても1枚か2枚を板の間に置いて使う_いわゆる現代のベッド感覚だ。

敷居や畳のヘリを踏んではいけない_それは霊的な結界…なんてバカげたことを言う人も居るが、そんな江戸中期に普及した「引き戸、畳、布団」を知らないからで、単に仕切り部分を踏んではいけないのは、そこに砂が入って動かせなくなってしまうから。なので普及して誰もが仕切り部分を踏むなと言い合っていただけのこと。現代と違って雨が降っただけで、強風が吹いただけで戸が開かなくなる、畳が上げられなくなるというだけのこと。逆に言えば日本のほとんどの家はドアだったともいえる。そして板の間にゴザを重ねて寝ていた。江戸時代の中期以降に普及しただけで貧しい家は畳も敷居も無かった。障子(窓)があっても跳ね上げ式だったということ。

こうした時代の流れをみれば正座やお辞儀という文化も違って見えてくる。確かに宮中や荘園といった支配者たちは別だが、女性も胡坐(あぐら)をしていたわけで、男は現在も変わらないが女性の場合は?そう、韓ドラでお馴染みの片膝立て胡坐である。板の間では片膝を立てていた方が痛くなくラクな場合が多い。決して行儀が悪いわけではない。元々朝鮮から教わったものだと知れ。お辞儀は床に両手を付き人差し指と親指で中央に菱形を作り、その菱形の中に「鼻を入れる」のが正式なお辞儀だ。正座とは「もっとも体積を小さくする」である。では上位の人を前にして_お辞儀まではいいとして、どう語るのが正しいのか知ってますか?

鼻を床に着けたまま話すのは難しいし、第一に聞こえないし見苦しい。
実はこうした部分の礼儀作法にもっとも長けているのが芸者さんたちだ。敷居を開けることから始まるが、それが「三つ指」である。例えばお辞儀をして「顔だけ上げて」相手の顔を見て話す?ことも実は姿勢がかなり厳しい。なぜなら「両手のひらを床に付けている」から。そこで三つ指を使う。襖も開けるのも同じ、いちいち両手のひらを床に付けない。いちいち両手を付いても問題無いけど_相手がイライラするだけだろう。

まーた長く書いてしまった。最後に…「上座」だ。関西だけ違う作法を通している人たちがいるので無礼にも思えるが、こうした日本で使われる一連の礼儀作法とは当然ながら中国にその根拠がある。「礼記」という道教の経典だ。天皇と皇后の位置関係が最上位であって雛祭りの飾り方に上座が表れるのだが、常に上位は本人の左であること。これは礼記にもあるのだが心臓が左にあることに由来する。天皇は「中央」なのだ。次に上位なのが天皇の左手の位置で皇后_なので前から見ると右が皇后になる。そして次に偉いのが「左大臣」で右大臣と続く。逆に我々側からすると、上位の人間を前にして「右側が上位」である=坐する者から見て「左」であること。能楽や古来宮中まですべてこの原則だが…なぜか関西の一部では左右を逆にする文化がある。


なぜご飯をよそうのが「飯椀」でなく「茶碗」なのか。
江戸時代に社会や家庭、日常生活すべてに茶道の作法を強いられたから、だ。



[今日は佳いご縁の日]


最近いい出逢い、ありましたか?

それはもちろん、こうして皆さんに出会えたこと。これに勝るものはありません。
とはいえ今いるこの家の日常では自分には…特にない。残念?いや人間以外には多いけど(笑)

この先2ヶ月くらいで…もっともっと断捨離しないと。Amazon とかネット関係の固定経費の
見直しをしなきゃ。仕事しないなら支出を限界まで減らすしかない_やっていけるのか?

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p.s.
わくわく
国民を犠牲に私腹を肥やすだけの痔眠肛迷という与党をどうにかする気は日本に無いのか?
愚かに毎日我々の血税を無駄使いしてるが…567ワク千ンで6,653億円をただ灰にした。

倍伝政権はここでかなり慎重に事を発表してますが。裏では逆、第三次世界大戦を仕込んでる。
西側ではフランス、ドイツだけがまとも、二本とイタリアは意思の無い忠犬そのもの ┐(´д`)┌
イラン大使館への先制攻撃「空爆」はイスラエル(ユダヤ)だろ?どこまでも狂ってる…
イラン大使館