忍耐と礼拝によって | スパチーの独り言

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令和 4年 6月 14日 火曜日、ずっと小雨。

今日は寒いです。暑い日が続いてたので油断しちゃいますね。夜から雨だと聞いてたのに朝からずっと降り続いてます。というわけで昨日の梯子は出しっぱなし。


さて。

古代の叡智は聖書から仏典までエチだった、から始まっておよそ一ヶ月。どこかでヘンなことを、というか毎日ですが書いて来ました。今日は認知症予防の日だそうですが、忘れていたり勘違いしている場合もあるので昔のメモを出しながら書いてます。で、コーラン関係を読み直していて、また色々幾つか思い出したので書いてみよう。

基本的にイスラム教もキリスト教もユダヤ教の聖書を元にしているのに全く考え方が違うこと。聖書を元に、ということは同じ教えのはずだが、各々の教え以外は悪であり敵であること。まぁ仏教にしても宗教なんてそんなものだが、イスラム教は知っておいて損は無い。もちろん過激な部分も多いし決して正解ではないけれど、歴史や戦争の背景も見えて来るし考え方が解りやすいんじゃないかと思う。日本は西欧帝国主義に洗脳されきっていてキリスト教が正しくてアラブ人は危険という刷り込みがされてる。いやそんな偏見は無いよ、という人でも確実にキリスト教寄り、それは社会やルールが準じているし、善悪や生活すべてに浸透してるから。

まず大きな違い。同じなのは神は唯一無二であり他に神は有り得ないこと。問題はその先だ。キリスト教の祈りでは 「天にまします我らが父よ」で始まるけれど、イスラムの教えではそんな神が親しい存在ではない、畏れ多いという意味では日本に近いかもしれない。が、イスラムにおいて神の前で人類はすべて 「奴隷」 であると定められている。父だなんて罰が当たる 「絶対的支配者と奴隷の関係」 なのだ。教えに対し批判など在り得ない絶対服従にあるという根底の精神が重要ということになる。日本人が悩むような、自分の主体性_自分の努力で何とかしよう、という考えは在り得ず、究極的な他力本願の教えであるとも言える。そもそもイスラームという言葉は「自己委託」「絶対一任」のような意味であって、平たく言えば「完全帰依の契約」である。

イスラム教と信者はイスラムとムスリムと言われるが、これも同じ言葉であって動名詞と能動分詞の違い、絶対帰依をすること→絶対帰依をした人、の違いである。日本では宗教観が唯一世界と異なるため、またタブー視されていることもあり言われることは無いが、宗教とは依属感情とされる。本気で人生すべてを神に預けているとも言える。なので聖書の捉え方がユダヤ、キリスト、イスラムでは違ってくることになる。場面によっては裏切りに映ってしまうこともあるということ。聖書に神の名は出て来ないが主要登場人物がアブラハムとその子孫、要するにアマテラスとその子供たちであるが、その捉え方さえも大きく異なる。

さらに言えば、ユダヤ聖書のバージョン3でもあるため、イエスキリストについても書かれ捉え方が異なる。ユダヤ、キリスト、イスラムで言われる神はインドで興る様々な宗教の神と違い、憑依して語ったり、預言者の言葉もまた絶対であり永遠だということ。なので現人神に等しいのがアブラハムでありイサクでありヤコブ(天照であり天忍穗耳であり瓊瓊杵)である。キリスト教が旧約を事前の参考書に留め新しく創ったのに対し、コーランは旧約を正した、訳し直した、という感じに近いかもしれない。まぁ…ここまででお腹いっぱいだろうと思うのでぶっちゃけて言えば、これぞマルドゥクの書き直しで、主導したのはマルドゥクの息子ナブだ。 で。

ムスリム

イスラムだけでなくヘブライ語でも預言者はナビでありナビゲーターの語源であること。マルドゥクの息子は頑張ったのだ。ナビゲーションの語源は世界で使われるマルドゥクの息子の名前。なぜかイスラム教だけにアッラーが残った。コーランがそれだけ文学的にも、説得力もあったからだろう。 旧約聖書には無いアブラハムらの行動、言葉が追加され、やたら帰依に関する文章が出て来る。 それと違反する者への罰、しつこく上辺だけの信者を責める言葉。 マルドゥクと息子がアッラーとの契約を書き足し、裏切ったら殺すぞ、と執拗に書いているのだけど。

コーラン 2章:41-42

وَآمِنُواْ بِمَا أَنزَلْتُ مُصَدِّقاً لِّمَا مَعَكُمْ وَلاَ تَكُونُواْ أَوَّلَ كَافِرٍ بِهِ وَلاَ تَشْتَرُواْ بِآيَاتِي ثَمَناً قَلِيلاً وَإِيَّايَ فَاتَّقُونِ
وَلاَ تَلْبِسُواْ الْحَقَّ بِالْبَاطِلِ وَتَكْتُمُواْ الْحَقَّ وَأَنتُمْ تَعْلَمُونَ


貴方が持っているものの確証として我が下したコーランを信じ、これを信じない者の先頭になってはならない。また僅かな代償で、わが印を売ってはならない。そして我だけを畏れなさい。
嘘をもって真理を被ったり、また知っていながら真理を隠してはならない。

※ ちなみにコーランは音読が原則である。

「ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマド・ラスール・アッラー」
「アッラーフンマ サッリ アラー ムハンマディン ワ アラー アーリ ムハンマディン」
「アッラーフアクバル!」



ニコニコ またねー


p.s.

イスラム教が出来たのは 610年、ムハンマドがアッラーの啓示を受けたことで始まる。
日本では推古天皇が在位し、物部守屋と蘇我馬子が戦い、蘇我氏が勝つ…

って、まさか?マサカッアマツヒコヒコナギサタケウガヤ…、じゃない、
実は モリヤ vs イエス? 地球外生命体同士の魔法対決だったりして?
(どちらも聖書繋がり、モレヤと蘇りし我は馬やとの子、堕天使VS天使?)
どっちも年齢も出生も詐称だろうけど_も、もしかして、サシで向かい合って…
エクスペクト・パトローナム!」「サルビオ・ヘクシア!」 とか唱え合ってたりして 爆笑

冗談はさておき。(冗談ぢゃなくマジだったらどーすんだよっ)
推古天皇が甥の厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子にしたのが593年、十七条憲法を制定したのが 604年、小野妹子を遣隋使に出したのが 607年である。聖徳太子が「天皇記」「国記」という古事記以前の暴露本を編纂したのが 620年、その2年後に聖徳太子は消え、その4年後には蘇我馬子一族も消える

益々渦巻く陰謀と隠蔽、怪し過ぎて_いうことないっす