観自在菩薩とは | スパチーの独り言

スパチーの独り言

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令和 4年 6月 10日 金曜日、快晴。

歩いて谷の昇り降りして買い出しへ。 食欲が無いときに買い物するのはいいね。 食パン2斤とお肉、野菜、以上700円。 で、帰って来て30数時間ぶりに食事を頂く。 そういえば今日は2年ちょっとぶりにマスク無しで外出。 でもたまにすれ違う人は誰もがまだマスク、もちろん店内ではマスクしますが…まだマスクしてる、というか_こんなに暑いと外した方がいいぞ?


さて。

一昨日 「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」 を書きましたが。 日本では仏教の基本、集大成こそが般若心経と信じられています、が、ご存知のように日本人のかなりの数が浄土真宗であって般若心経と違う教え、他力本願を教えます。 まぁ葬式の時に気付く人も居れば…気付かない人の方が多いかもしれません。 般若心経や死後の行程を否定し、即仏様になる教えですからね。 熱心な信徒さんでさえ意味を分かってないのをよく目にします。 ま、そんなもんでしょう。 日蓮宗も似たようなものですが、さすがにこっちはそこまで否定はしてませんけど般若心経を読んだり書いたりすることは無いのは同じこと。 仏教で括られながら、こんな宗派毎に他宗を否定するのって嫌だし間違ってると思いませんか。 その理由こそ親鸞が言うように 「いづれの行もおよびがたき身なれば」 であって、比叡山で20年以上修行しても全然納得できなかったことにあるのを正直に現わした部分だろう。 キツい修行に何の意味も無い、それを指摘した親鸞は潔いとは思う。

僕も般若心経とその写経のススメを書いていますが、あらためて「色即是空」「摩訶般若 波羅蜜多」 を眺めると確かになー、と納得するものを発見すると同時に、仏教以外の宗教を考えたりもしてしまった、というわけです。 結局は 「空(実体は無いもの)」 という真理を悟るために摩訶般若を学び続け、悟りを得るまで波羅蜜多しなさい、と。 そこで調べ直した。 「諸悪莫作 衆善奉行」 こそ真意であって般若心経とは初期仏教の教えをアマテラス教で上書きするためだったんじゃないか? と。
日本に伝わる漢文訳の般若心経は…確かに7世紀頃に造られたのが分かった。 大乗仏教は釈迦の言った言葉ではなく、正当なる上座部を否定するために創られたもの、言い換えれば旧約聖書から新約聖書に変えなさい、旧約聖書はただの参考書、というのと同じことだ。 死後の世界も釈迦は話してない。 より良く人生を送ろう、がすべてで 「諸悪莫作 衆善奉行」 だけのはずが、実体はない(見えない、生まれるも死ぬも無い、五感も実体は無い)という別の教えに変えてしまったのが大乗仏教であり般若心経だ。 良く言えば哲学的になったかもしれない。 でも 「悪いことを思うな考えるな、皆が喜ぶことを続けなさい」 というのが本来の教えだよ。 実体が無いなんて五感に頼って生きている人間に理解させる方がおかしい。

ま、一つの考え方として否定はしないし、これからも般若心経は支持するけども。 なぜなら欲望や執着といった虚しいことをやめよ、というのは正しいから。 しかし大乗仏教、般若心経とは観音崇拝であって、同時にカースト、差別や排他を生んだのかもしれない。 やめよ、と言いながら六波羅蜜という修行を永遠に続けよ、って確かに無駄矛盾もある。 そこでふと考えた。 時期が重なるんじゃね? という事実だ。 観音さまとは観自在菩薩、そして般若心経とは観自在菩薩が智慧第一の上座部の長老シャーリプトラに説法する、という物語。 怪しいよねぇ、観音さまって_ 「豊聡耳」 のことじゃないか? 10人の会話聞き分ける人_成立時期が同じだ。

蘇我一族は巨人だったのは教科書で見た記憶通り。 聖徳太子は太刀を携えた従者二人を左右に、倍ほどの身長で描かれてますよね。 ということはニンギシュジッダの子孫か、ニンギシュジッダの従者、天使だったかもしれない。 それかイエスである蘇我馬子と一緒に改革を起こすために突然現れたニンギシュジッダの使いだったか。 いずれにせよアマテラス崇拝によって志半ばに終わるのかもしれないが、そもそも大化の改新も中国から本当に持ち込んだのか? 真実は聖徳太子が龍神から律令制のタブレットを受け取った(エンキから"メ"と呼ばれる知識のインストール) と考えられませんか? その証拠が 「笏」 ↓を持っていること。 今まで文字さえ無かったのに、いきなり十二条憲法って_しかも笏って 「シュメールかよ」、と。

聖徳太子


長く読んでくださっている皆さんなら、理解できるかと思います。 とにかく…日本史はデタラメ過ぎて捏造と隠蔽ばかり、千年前頃からは証拠が増えてダマしきれなくなりますが、それ以前の史実は病み、已み、闇ですね。 というかね…大乗仏教が上座部仏教をとにかく否定し貶すことが嫌で、だからこそ僕が葬式仏教を否定してきたこともある。 その理由が見えて来た、と思いませんか? 大乗仏教は決して上座部とは言わない、小乗仏教と言って愚かだと罵っていること。 そう言いつつ、上座部の下に大乗仏教という形で僕自身は 「一つの考え方」 と、ようやく納得した感じではあります。 (追伸へ続く)



[今日は時の記念日]

時は金なりを実感したこと

時の記念日は毎年欠かさず書いてる。理由は例年の記事の通り。
「時は金なり」 といえば 「親孝行したい時に親はなし」 でしょう?
カネってのが気に入りませんが、時間や老化は止まってくれない。
僕は充分に親孝行をして後悔も無い。だからこその今の生活でもある。
調査によれば…親孝行した、という人は人口の3%だそうです。

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ニコニコ またねー


p.s.

とは_本来は神(エンリル)が認めた「国」に対し、エンリル自らが国を治める「王」に対して授ける地球外から持ち込まれた神からの唯一の証である。 古代ギリシャやローマ映画のファンならご存知の通り、戦争の勝敗とはこの「笏」を奪うことにある。もちろんこんな聖徳太子が持っているようなバッタモンではなく、美少女戦士が変身するときに使うアレ(ステッキ)が笏である。本物のレプリカはヨーロッパ各国王室が必ず持ってますね(王笏ほか3点セット)。

王家の笏
本当の 「神から授かる神器」 とはセプター(笏)とレガリア(宝珠)とクラウン(冠)です。
盃でも指輪でも蛇の杖でもありませんし、ましてや勾玉でも鏡でも剣でもありません。


例えて言うなら、上座部仏教とはエンキの旧約聖書であり、大乗仏教とはイエスの新約聖書。
イエスを例えたのが観音さま、ってことになる。 ※教えは違いますよ! 例えたらの話し。