三波春夫 お客様は神様です 世界の国からこんにちは | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

〝昭和歌謡界の大御所といえは、誰?〟と中高年世代に問えば、きっとこの方の名が出てくるはず。

今日は、その


 三波 春夫 さん

の命日・没後25周年にあたります。


三波(本名:北詰 文司)さんは、関東大震災が起こる1ヶ月半ほど前の1923(大正12)年7月に現在の新潟県長岡市に本屋

・文具商を営む父親の三男として生まれました。

7歳の時に母親が腸チフスで死去し、文司少年も同じ病気で生死を彷徨ったそうな。

家業が傾いたため13歳の時に東京に出た彼は、米屋や製麺工場で働きながら既に当時流行していた浪曲師になりたいと志を立てていたといいます。


16歳の時に文京区本郷にあった『日本浪曲学校』に入学すると

1ヶ月後にはもう初舞台を踏み、3ヶ月後には住吉亭で〝南條文若〟という芸名の披露興業を行ったそうですから、まさにトントン拍子。

しかし1944年に徴兵され満州へ。

 

軍隊内でもその歌唱力で兵士たちを楽しませたようですが、敗戦直後の1945年10月にソ連軍の捕虜となり、以後4年間もシベリアに抑留され、苦しい生活を余儀なくされました。

1949年9月に帰国すると浪曲師として復帰し、12月には三味線の曲師・野村ゆきさんと結婚。

 

そして1950年代に入り世間で演歌などの大衆歌謡が流行し出すと、彼はいち早くその流れを感じ取り、1957年には芸名を『三波春夫』に改名、初の和服歌手として歌謡界に進出。

デビュー曲の『チャンチキおけさ』がいきなり大ヒットすると、以後新曲を出すたびにヒットを連発。

翌1958年には紅白歌合戦に初出場を果たします。
(以後紅白には通算31回・連続29回出場)

      

 

その後歌舞伎座で1ヶ月公演を打つ程に人気が高まりましたが、私が三波さんの歌声を始めて耳にしたのは、おそらく1963年にリリースされた『東京五輪音頭』。

 

この曲は他にも三橋美智也さん・橋幸夫さん・北島三郎さんらが歌ったそうですが、レコード売り上げは250万枚の三波さんがダントツだったそうな。

そして今でも憶えている曲は、1970年に開催された大阪万博のテーマソング・『世界の国からこんにちは』。

この曲も複数の歌手がレコードを出しましたが、やはり三波さんの130万枚がトップ・・・これにより、いつも笑顔で朗々と歌う三波さんの〝国民的歌手〟というイメージが定着したように思います。

しかし、精力的に芸能活動を続ける三波さんを病魔が襲います。

1994年に体調を崩して病院で診察を受けたところ、前立腺がんとの診断が。

それを聞いた三波さんは冷静に「仕事をしながら病気と闘っていきましょう」と答えたそうで、以後家族以外にはこの事実を明かさず、歌手活動を継続。

抗がん剤で毛髪が抜けると植毛をして周囲に気付かれないようにしたといいますから、まさにプロ根性の塊。

 

そして1999年に最後の紅白歌合戦の出場を叶えた三波さんは

2001(平成13)年4月14日に77歳でこの世を去ったのです。

ところで、三波さんの歌を聴いたことのない若い世代の方でも、彼の〝永遠の名台詞〟

「お客様は神様です。」

 

はご存じのはず。

これは1961年に公演のステージ上で当時司会をしていた宮尾すすむさんとの掛け合いの中から生まれたフレーズだそうな。 

 

ともすると

 

「お客様の言うことは絶対であり、店側は要求を拒否出来ない」

 

という意味合いで接客業の金言として使われたり、逆に客の立場で横暴な振る舞いした挙句このセリフを吐く人がいますが、実はご本人はそういう意味で言ったわけではありません。

「舞台に立つ時は敬虔な心で神に手を合わせた時と同様に心を昇華しなければ、真実の芸はできない。」

「お金を払って楽しみを求めご来場くださるお客様には、その代償を持ち帰っていただかなければならない。 

その意味で、お客様は絶対者=神様の集まりなのです。」


とご本人は仰っていますから、かなりハイレベルな趣旨。

三波さんの高尚な思いを察すれば、そうそう簡単に使えないセリフであることがお分かり頂けると思います。

それでは最後に、懐かしい大阪万博のテーマ曲を聴きつつ、国民的歌手のご冥福をお祈り致しましょう。🙏

 

 

 

 

 

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