昨日に続いて、学校では絶対に教えない史実のご紹介です。
それは、終戦前後に満州で起きた中では最悪の悲劇と言われる
かっこんびょう
葛根廟事件
葛根廟とは、満州国興安総省に存在した地名。
※現・中華人民共和国内モンゴル自治区興安(ヒンガン)盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮
昨日ご紹介した 『小山克事件』 で書いた通り、1945(昭和20)年8月9日早朝からソ連軍が国境を越えて満州国に侵攻。
8月10・11日に興安がソ連軍の空爆を受けほぼ破壊されると、東半分に居留していた日本人千数百人が近郊のウランハタに集結。
浅野良三・興安総省参事官の指揮により、彼等は興安の南東にある吉林省・白城に移動。
そこで関東軍の保護を受けつつ列車で南下することを計画し徒歩で避難を開始しました。
興安(青線)と白城(赤線)の位置
ところが8月14日昼前、彼らが葛根廟丘陵付近に来たところで、中型戦車14台・トラック20台に分乗したソ連軍歩兵部隊に遭遇してしまいます。
葛根廟の位置
しかしそれは偶然ではなく、前日に興安入りしたソ連軍が彼らの逃避行を知り、先回りして待ち伏せていた故意の攻撃でした。
不意打ちを受けた浅野参事官は白旗を上げて降伏したものの、機関銃で射殺すると同時に、ソ連軍は避難民に対し攻撃を開始。
戦車が機関銃を乱射しつつ、日本人を戦車で轢き殺したのです。
戦車の後ろではキャタピラに巻き込まれた死体が宙に舞い上がったといいますから、まさに地獄絵図。
事件現場(1984年撮影)
そしてトラックから降りたソ連兵が生存者を見つけては片っ端から射殺し、銃剣で止めを刺したとか。
2時間程の攻撃で非武装の一般市民だった日本人の女性・子供が1,000名以上殺され、生存者は数百名だったと言われています。
東京・目黒区 五百羅漢寺にある葛根廟事件の絵
亡くなった方の中には、戦車に轢かれたり被弾して負傷した末に自決した人も多数いたとのこと。
更に生き残った者も、支那人によって下着まで身ぐるみ剥がされ、女性は鎌で乳房を切り落とされました。
そして彼らは母親を殴って子供を引き離し、連れ去ったのです。
当時、日本人の男の子は1人300円、女の子は500円で売れたのだそうな。
そしてその子供らの多くが、後の残留孤児に。
その後の調査で、運よく生き延びた人は約330名と判明。
しかし日本に帰れたのは、110名余。
如何に過酷な逃避行だったかが分かります。
非戦闘員の一方的な虐殺・強奪は、明らかに戦争犯罪。
ソ連(ロシア)には、この事件を捏造だとする学者もいるようですが、この事件に遭遇しながら幸運にも生き延びた方の証言がある以上、そんな主張は通用しません。
その生存者のお1人が出版されたのが、こちら。
『炎 昼 私説 葛根廟事件』 (大櫛戊辰・著 新風舎・刊)
同書から、生存者の証言をひとつ、以下にご紹介します。
証言者は、当時8歳だった依田照子さん。
母と5歳の弟、3歳と1歳の妹2人はこの事件で殺され、自身は残留孤児となり1976年に帰国。
父は応召中で戦後シベリアに抑留され、後に帰国したものの父娘は離れ離れのままだったという、過酷な人生を歩んだ方です。
『わたしはむちゅうで走り、こうりゃん畑の中にふせていました。 そこにどこかのお姉さんが一人いまいた。
私は、母さんや妹たちがどこへいったのか心ぱいで行こうとしたら、そのお姉さんが「あぶないから、じっとしていなさい」と、とめました。
せんしゃがいなくなって、畑のそとに何回も出ていって、「お母さーん!」そして妹たちのなまえをよびましたが何のへんじもなく、死んだ人たちのくさいにおいがこわくなり、泣きながら畑にもどりました。
私のランドセルをまくらにしてお姉さんがねていたので、おこそうとランドセルをひくと、「ガクンッ!」 とお姉さんのあたまがおちて、赤いどろどろしたのが流れました。
お姉さんがいつうたれたのかしりませんでしたが、あまりかなしくもありませんでした。
「お姉さんごめんね」 といってランドセルをとってシャツをきがえ本といっしょにすてました。
「あーあー、とうとう一人ぼっちになった。
走ってきたのはこっちかしら? あっちかしら?」
わからないままあるきましたが、にげるときくつをなくし、はだしの足がいたくてなりませんでした・・・。』
(※原文まま。 一部修正)
8歳の少女にとって、あまりに悲惨な体験だったと言わざるを得ません。
まさにこの世の地獄・・・この他、不憫に思って我が子を殺し、自らも乳房を切り取られながら生き残った女性のものなど、涙無くしては読めない証言ばかり。
〝迫りくる ソ連戦車の キャタピラに
厳となりて 我が児抱く母〟
幸運にも生き延びた遭難者が詠んだこの短歌が、この事件の悲惨さを端的に表していると思います。
当該事件に関する著作がこの他にも出版されていますが、是非それらをお読みいただき、子々孫々にこの史実を伝えて下さい。
正しい歴史を知らぬ民族は、進む道を誤りますから・・・。