樺太 ポーツマス条約 北方四島 実効支配 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

ちょうど120年前の今日、日露戦争における最後の戦闘、

 樺太の戦い

が日本の勝利で終結しました。

樺太は北海道の北に位置し、面積は72,492㎢で北海道(78、073㎢)よりやや小さく、南北約948km・東西約160kmと細長い島。

 

   
 

日本は1875年に締結した樺太千島交換条約により、千島列島(※この条約で列挙されたシュムシュ島からウルップ島までの18島)をロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄、樺太はこの時点でロシア領に。

そして1904年に開戦した日露戦争において、日本海海戦で勝利したものの既に国力が限界に近づいていた日本は、ロシアとの講和を目指しました。

アメリカのT・ルーズベルト大統領に仲介を依頼すると同時に、講和を有利な条件で結ぶべく樺太の占領を画策。

かねてより樺太占領を主張していた長岡外史・参謀次長(↓)が児玉源太郎陸軍大将を動かして1905(明治38)年6月に樺太作戦が政府・統帥部の協議で決定。


     

同月17日に明治天皇の裁可が下ると、独立第13師団が出動、7月7日に樺太南部の亜庭海岸に上陸。

当時ロシア軍は約1,200名の兵員しかおらず、日本軍は戦力的優位を背景に次々と占領地域を広げ、ロシア軍を撃破。

約200人を捕虜とし、16日にはコルサコフ方面司令官アルチシェフスキー大佐も降伏。

更に日本軍は24日北樺太に侵攻、ロシア軍の退却によりアレクサンドロフを占領、7月31日にロシア軍長官リャプノフ中将が日本軍からの勧告を受けて降伏しました。

 

この樺太占領直後の8月10日から始まった日露講和会議の結果、樺太を横切る北緯50度線以北をロシアに返還したものの、南半分を日本領として割譲させるに至ったのです。(ポーツマス条約)

 

 

この戦闘で日本軍は戦死者19名・負傷者58名を出しましたが、その犠牲を払った上で勝ち取った南樺太も、大東亜戦争の敗戦・サンフランシスコ平和条約により、千島列島共々ロシアの手に落ちました。

しかもそれだけではなく、本来は日本の領土である北方四島までも(サンフランシスコ平和条約に署名していない)ロシアに現在も実効支配されていることは、皆さんもご存知の通り。

 

国際条約で認められた領土を70年以上も取り返せない体たらくでは、命を懸けて戦った先人・英霊に申し訳が立たない・・・政治家や外務官僚はそう思わないのでしょうか?


           人気ブログランキング