かつて私が葬儀社の事務所を開いていた高島平は、マンモス団地で有名。
そこの住民が都心に行くために利用できる唯一の鉄道路線というか、そのために敷設されたと言っていいのが
都営地下鉄三田線
この路線が全線開通したのが、今からちょうど50年前の今日でした。
同路線は、1957年に建設省から示された『東京都市計画高速鉄道網』で5号線(現・東京メトロ東西線)の分岐線として示された大手町~下板橋間の建設計画がルーツ。
その5年後に同線は分岐線ではなく独自の6号線として切り離され、5号線は営団が、そして6号線は東京都が建設することに。
開通当初『都営6号線』と呼ばれていたのは、このため。
1965(昭和40)年12月に着工し、3年後には巣鴨~志村(※現在の高島平駅)が開業。
団地に入居が始まった1972(昭和47)年6月に日比谷~巣鴨間、同年12月に日比谷~三田間が開通。
そして1976(昭和51)年5月6日・・・最後まで残っていた高島平駅~西高島平駅が繋がり、三田駅までの全線開通となりました。
ところで東京都内を南北に走るこの地下鉄には、おそらく他の路線にはない、ある特徴があります。
それは・・・まず、下の地図をご覧ください。

この路線は、地図左上の西高島平駅から、地図の右中程の 『中山道』 と記載されたあたり、志村坂上駅手前まで地上というか、高架上を走行します。
そのラインを西高島平からなぞっていくと、西台駅~蓮根駅、蓮根駅~志村三丁目駅、そして志村三丁目駅~志村坂上駅手前の間に、それぞれキツいカーブがS字のように存在していることが分かります。
まるで映画 『アンストッパブル』 の大曲りが3ヶ所連続であるかのようですが・・・なぜこんなルートになったのか?
当初案では、志村坂上地駅から中山道下を直進する予定でした。
しかしそれだと荒川の下をくぐることになり勾配が急になることと建設費が嵩む、ということで立ち消え。
そして次は蓮根駅からそのまま北上するルートが検討されましたが、そんな折に高島平団地の開発計画が持ち上がり、急遽蓮根駅から左に曲がって団地横に駅を作る現在の路線に決着したというわけ。
行き当たりばったりと言っては失礼ですが、結局は役人の判断の甘さというか先見性の無さで路線が針金を曲げるようにクネクネとなりました。
(※余談ですが、当初は西高島平から先を埼玉県大宮方面まで延伸させる計画もありましたが、結局は埼京線と競合するということで中止。 その計画路線上には、その後首都高速5号線・埼玉大宮線が開通しています。)
この都内ではまず味わえないS字高架上を走る地下鉄、是非一度体験してみてはいかが?

