今日は、皆さんもよくご存じ・・・ダ・ヴィンチ、ラファエロと並んで〝ルネッサンスの3大巨匠〟と称され、彫刻家 ・ 画家 ・ 建築家 、また詩人としても活躍した
ミケランジェロ・ブオナローティ
Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni
の命日・没後460周年にあたります。
ミカエル(Michael )と天使(Angelo )を併せた名をつけられた彼は、1475年にフィレンツェ共和国(現在のイタリア・トスカーナ州)に生まれました。
6歳の時に母親を亡くす不幸に見舞われましたが、父親が大理石の採石場を経営しており幼い頃から石工と共に暮らしていたため、彼は早くから鑿(のみ)と金槌の使い方を会得できたそうな。
そして早くから絵画・彫刻に興味を示していた彼は、13歳の時ドメニコ・ギルランダイオに弟子入り。
フィレンツェを支配するロレンツォ・デ・メディチに認められて引き取られ、プラトン・アカデミーで多くの芸術家・有識者と出会い、大いに触発されたといいます。
当時のフィレンツェは政情が不安定だったようですが、彼の才能はその時々の権力者に認められ、『ダビデ像』、『ピエタ』、『天地創造』、『アダムの創造』 等々、数々の絵画な彫刻で名作を残すことができたようです。
とは言え、残念ながら建築主任を務めた 『サン・ピエトロ大聖堂』 の完成を目にすることが出来ぬまま88歳でこの世を去ったのは、1564年2月18日のことでした。
ところでこのミケランジェロ・・・名前に〝天使〟と入っている割りには相当な気難し屋で、おまけに短気だったとか。😅
晩年の彼と交際のあった画家ダニエレ・リッチャレッリの描いた冒頭の肖像画からも、そんな性格が伝わってくる気がします。
日常生活でも孤独を愛し引きこもり気味だったようで、それ故に生前から伝記が出版された程の大芸術家でありながら人が殆ど寄りつかず、弟子も残していません。
喧嘩っ早く、相手に殴られて鼻を曲げられたこともあったそうな。
そしてもうひとつ特筆すべきは、彼が異常なまでにレオナルド・ダ・ヴィンチ(↓)を意識(敵視)していたということ。
彼はダ・ヴィンチの絵画について、「あのくらいのものなら、私の下男でももっとうまく描いただろう」と述べた、とも伝えられているくらいですから。
〝万能の天才〟と賞賛されたダ・ヴィンチと、庶民的かつ頑固者のミケランジェロ・・・まぁ、確かにソリが合うとは思えませんが。
その敵愾心というか強烈な対抗意識が、彼をダ・ヴィンチの死後50年近くも生き延びさせ、多くの名作を生んだ原動力だったのかもしれません。
〝ライバルがいない人生は、島影さえ見えない大海のただなかにポツンと浮かぶ舟のようなものだ。
進んでいるのか、後退しているのかさえわからぬ頼りのない人生。
それはおそらく味気のない人生だと思う。〟
この作家・藤本義一さんの言葉が、彼にはピッタリ当て嵌まる気が。
貴方には、そんな終生のライバルはいますか?