今日は、広島カーブで長年活躍した名選手
衣笠 祥雄 さん
の命日、早いもので七回忌にあたります。
過去記事にも記した通り、衣笠さんは球界一とも言える人格者だったのですが、今日はそれを彷彿とさせるエピソードをひとつご紹介したいと思います。
衣笠選手の後輩で、1984年のロス五輪で日本代表に選出され、その翌年に新日鉄広畑からドラフト2位で広島に入った正田耕三という二塁手がいました。
正田選手は2月のキャンプで衣笠さんと同室になり、シーズン当初は2軍スタートだったものの、5月に1軍昇格。
その直後初めての東京遠征に同行した際、新幹線のホームで衣笠さんに挨拶したところ、
「おぉ、2軍で頑張ったようゃな。
今晩、何か予定あるんか?」
「いえ、別にありません。」
「そうか、それじゃ試合終わったら一緒に飯を食おう。」
と言って連れて行ってくれたのが、銀座。
食事をした後クラブに行くと、衣笠さんの名が入ったボトルが5,6本目の前に並べられました。
綺麗な女性を侍らせて、初めての銀座で夢心地で飲んでいる正田選手に、衣笠さんが話しかけました。
「お前、プロ野球選手ならこういう所で飲めるようになれョ。
そのためには、どうすればいいと思う?」
「そりゃあ、バット振るしかないです。」
衣笠さんは、「そうか」と言うなり、財布から1万円を出して正田選手に渡すと、
「じゃあ、これで今すぐ宿舎に帰ってバット振れ!」
こんなことされたら、やる気出ないわけないですょネ。
衣笠さんの叱咤激励に応えるべく、正田選手はシーズン途中に当時の古葉監督からスイッチヒッターになるよう指令を受けると、それこそバットの振り過ぎで指が開かなくなるほどの猛練習を重ね、1987年にはスイッチヒッターとして史上初の首位打者を獲得、翌シーズンも2年連続でタイトルを手にしたのです。
努力の甲斐あってレギュラーの座を獲得した正田選手は銀座で衣笠さんの馴染みの店で飲めるようになったそうですが、ある時ママさんから耳打ちされたそうな。
「衣笠さんを見ててごらんなさい。 途中で席を外すから。」
言われた通りそれとなく見ていると、本当に席を立って店の外に出たそうな。
一体どこへ? 気になった正田選手は、ママに教えてもらった路地に行くと・・・衣笠さんはバットは手にしていなかったものの、シャドースイングをしていたのです。
衣笠さんは1987年に現役引退していますから、その直前でも地道な努力を重ねていたんですネ。
こういう先輩を持った選手は幸せ・・・いや、自分自身がそうなりたいもの。
あらためて〝鉄人〟のご冥福をお祈り致します。🙏