特 捜 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は、昭和時代に映画やテレビドラマで活躍した俳優、

 

 二谷 英明 さん

 

の命日・十三回忌にあたります。

 

    ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

 

二谷英明(※本名同じ)さんは1930(昭和5)年に京都府舞鶴市で生まれました。

 

同志社大学文学部を中退後、1954年に開局したばかりのラジオ佐世保に入社。

 

英語放送のアナウンサーなどを務めていましたが、1956年に日活のニューフェースに応募し見事に合格、小林旭さんらと同期で入社しました。


同年公開の 『沖縄の民』 でスクリーン・デビューを果たすと、石原裕次郎さんらと共に〝ダンプガイ〟という愛称をいただきアクションスターとして活躍。

 

しかしその後はやや年長であったこともあって主役のライバルや上司役としての役回りが多くなり、また人格者として役者仲間からの信頼が厚かったとか。


ただ年代的に私は日活時代の二谷さんの活躍は殆ど知りません。

 

やはり二谷さんといえば、1977年から10年間にわたって続いた人気ドラマ・『特捜最前線』 での神代警視正役のイメージが強烈。

   

 

北海道ロケ中のスキー転倒事故で首を骨折するという重傷を負い、途中4ヶ月間の休養がありましたが、492回もの出演を果たした代表作でした。


この番組以前から二谷さんは日産セドリックのCMキャラクターだったため、この番組のスポンサーも日産であり、当然のことながら車両提供も日産。

 

〝特捜=二谷さん=日産〟というイメージがすっかり定着してました。


そうそう、CMといえば15年程前に家庭教師派遣会社・トライのテレビCMで 『特捜最前線』 のシーンを取り入れたシリーズがあったことをご記憶の方もいらっしゃると思います。


なんで特捜なの? と不思議に思ったんですが、実は同社の社長が二谷さんの長女・二谷友里恵さんだったんだそうな。
 

 
その後奥様の白川由美さんとJRのフルムーン旅行のCMに共演するなどしましたが、1990年代からはボランティア活動に重点を置かれたとのこと。

 

               


2003年に脳梗塞で倒れた後は役者の仕事は休止状態で療養に務めましたが、2012(平成24)年1月7日・・・肺炎のため81歳で天国へと旅立たれました。


葬儀の際は長淵剛さんが歌を捧げるなど、広い交友関係があったことを伺わせる一幕も。


あらためて人格者・二谷英明さんのご冥福をお祈り致します。笑3


 

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