今日は、世間では20世紀最高の俳優ともいわれていますが、個人的には〝怪優〟というイメージが強い
マーロン・ブランド
Marlon Brando
の命日・没後20周年にあたります。
ブランド(本名:マーロン・ブランド・ジュニア)は1924年、化学飼料製造・販売業の父と地方劇団の女優だった母の間にネブラスカ州オマハで生まれました。
両親がアルコール依存症で更には父が粗暴だったため、彼は幼少期から情緒不安定で学校でも超問題児。
更に人種差別が顕著だった当時としては珍しく黒人の生徒と仲良くして白人教師に睨まれるなど、既に子供の頃から後のアカデミー賞拒否事件の素地・・・反骨精神旺盛だったようです。
16歳の時、父に強制時に陸軍アカデミーに入学させられますが、そこでも教師に反抗し退学処分に。
その後電気工などをしていた彼の運命を変えたのは、姉・ジョスリンでした。
女優志望だった彼女に誘われてニューヨークに出た彼は、形態模写が得意だったことで姉から俳優業を勧められ、養成学校に入学。
そして1947年にエリア・カゾン演出の舞台『欲望という名の電車』に準主役として出演し注目を浴びると、1951年にやはりエリア・カザン演出した同名の映画作品に出演して世界的大スターの階段を登り始めます。
彼の猫背でぼそぼそ話したり急に不機嫌になったりする演技はそれまでの映画界では型破りでしたが、その手法はポール・ニューマンやジェームス・ディーンらに大きな影響を与えたといわれています。
※この作品で下着を普段着のように着こなしたことが若者にウケて、Tシャツが広まったとか。(↓)
しかし私自身が彼の演技を初めてスクリーンで観たのは 『地獄の黙示録』 (1979)。
この映画の難解なストーリーはあまり憶えていませんが、ワーグナーの 『ワルキューレの騎行』 をBGMにしたヘリコプターの爆撃シーンと、ブランド演じるカーツ大佐の不気味さだけが脳裏に焼き付いています。
その印象があまりに強く、私の中には〝ブランド=怪優〟という公式(?)が出来上がったのですが、この作品を上回る名演が、あの 『ゴッドファーザー』(1972)でした。
マフィアのボスであるドン・コルレオーネ役での演技は、まさに存在感抜群かつ貫禄十分。
私は何故か劇場公開後10年以上経って社会人になってからレンタルビデオで初めて観たのですが、彼に対する認識は怪優から名優へガラッと変わりました。
しかし同作で 『波止場』(1954)に続き2度目のアカデミー主演男優賞を受賞したものの、「インディアンを不当に悪役扱いしている」と人種差別問題を提起。
映画界に抗議する意味でオスカー像の受け取りを拒否するという、前代未聞の行動に出ます。
その影響で、以降ハリウッドでは西部劇の製作が下火に。
一方彼自身も当初から高額なギャラと共演女優に次々手を出したり癇癪を起こすなど撮影現場での奇行・我儘がネックになって大作のオファーがなくなり、いわゆるB級作品への出演が主に。
続編の『ゴッドファーザー PartⅡ』(1974)もオファーがありながら、余りに高額なギャラを要求したため制作側が断念。
脚本の大幅な手直しを余儀なくされたそうですが・・・しかしそのおかげでロバート・デ・ニーロが代役で出演し、アカデミー助演男優賞を獲得して一気に大スターに。
またブランドは、台本を憶えてこないことでも有名だったとか。
独特の雰囲気といい、丹波哲郎さんと似ています。😅
それでもスクリーン上での存在感は他の追随を許さず、カリスマ性を終生保ち続けましたが、『スコア』(2001)の出演を最期に、2004年7月1日・・・肺線維症により80歳でこの世を去りました。
プライベートでは3回結婚、そして長女シャイアンは1990年にボーフレンドを兄(ブランドの長男)クリスチャンに射殺され、そのショックから5年後に自殺。
そのクリスチャンも後に他の殺人事件に関与が取り沙汰されたり家庭内暴力で収監されるなど問題を数々起こした末、2008年に49歳で他界しました。
スクリーン上で私たち映画ファンを唸らせる演技を見せてくれた裏には、実に複雑かつ悲惨な家族関係があった由。
今宵は 『ゴッドファーザー』を観ながら、あらためて怪優の冥福を祈りたいと思います。🙏