今から75年前の今日・1949(昭和24)年6月3日に 『測量法』 が公布されたことを記念して、今日は
測量の日
なのだそうです。
〝測量〟とは、地表面上の地点の相互関係および位置を確立する科学技術。
語源としては、支那の〝測天量地〟(〝測天〟は天文観測、〝量地〟は土地測量の意)から考案された単語といわれており、最も古い文献としては1717年に儒学者・細井広沢が著した 『秘伝地域図法大全集』 に出ているそうな。
測量というと、私は道端で作業員さんが三脚の上に乗せた光学機器で離れた場所に立った人が持つ棒を覗いている光景を思い出しますが、具体的に何をしているのかはチンプンカンプン。
しかしそれが地図の作成に欠かせない作業であることは理解できます。
地図といえば、まず頭に浮かぶのは日本で初めて全国地図を作成した、伊能忠敬(↓)。
近代的な機器を使わず、人間の足でこれだけ正確な地図を作成した忠敬の頭脳と執念には、ただただ頭が下がります。
そして今日は、忠敬ほど有名ではないものの、日本の近代測量史に欠かせない人物をご紹介したいと思います。 その方は、
柴崎 芳太郎 (1876-1938)
という、65倍の難関試験をパスして陸軍・陸地測量部(現・国土地理院)修技所に入り、卒業後同部三角科に配属された測量官。
現在、測量に限らず航海術や天文学、更には兵器の照準等で一般的に使用されているのが、〝三角測量〟。
これは、ある基線の両端にある既知の点から測定目標点への角度をそれぞれ測定することによって、その位置を決定する測量方法。
文章では分かりづらいですが、下の解説図をご覧いただければご理解いただけるはず。
前述の光学機器を使った測量は、この角度を計測しているのです。
この三角測量を使って正確な日本地図を作成してきた陸地測量部ですが、まだ北アルプスの峰々に関しては手付かずのままでした。
その中の未踏峰・剱岳初登頂を目指す山岳会から5万分の1地図の公開を要請された測量部は、なんと彼らに先んじて登頂し、そこに三角点を設置することを柴崎測量官に命じたのです。
彼は苦難の末1907(明治40)年7月、案内人や助手共々標高2,999mの剱岳登頂にアタックして成功。
未踏峰だったはずなのに、山頂には既に修験者が置いたとみられる錫杖の頭と鉄剣があったそうですが、彼はそれを持ち帰ると同時に三角点を設置。
しかし約60kgもある重い三等三角点は運び上げることが出来ず、木材1本を針金で支えた臨時の三角点設置に留まったそうです・・・が、もちろんそれ自体が偉業であることに変わりはありません。
- 【参 考】 三角点の種類
- △一等三角点 設置間隔・約40km、必要に応じて約25km
- 間隔の補点が設置される。全国に約1,000点
- △二等三角点 設置間隔・約8km 全国に約5,000点
- △三等三角点 設置間隔・約4km 全国に約32,000点
- ※現在の技術水準では、2万5千分の1地形図を作成するため
- の位置の基準は3等以上の三角点で充足される。
- △四等三角点 設置間隔・約2km 全国に約70,000点
△電子基準点 人口衛星を利用したGNSS連続観測システム用
約1,200点
この柴崎測量官の功績を、山岳小説の第一人者・新田次郎さんが2006年に綴った作品がありますので、興味のある方はご一読ください。
『剱岳 一点の記』 (文春文庫・刊)
また同作は2009年に映画化され、第33回日本アカデミー賞で最優秀監督賞・最優秀助演男優賞・最優秀音楽賞などを受賞していますので、機会があればこちらも是非ご鑑賞を。
現在私たちはカーナビなどで便利な生活を送っていますが、それも100年以上前に先人が命懸けの苦労を重ねて下さったおかげであることを、忘れてはいけませんネ。