それは、日本海軍・・・いや我が国にとって、最期の砦・希望でありました。 その
戦艦大和
が沖縄に向かう途上の鹿児島県坊ノ岬沖で米軍との激しい交戦の末に轟沈したのは、今から79年前の今日でした。
1937年11月に、広島・呉の造船ドックで起工され、アメリカへの情報漏れを恐れ秘密裏に建造された戦艦大和。
全長 263m ・ 最大幅 38.9m ・ 公式排水量 69,000トン
最高速力 27.46ノット (時速約51km)は、当時世界最大・最強の超ド級戦艦でした。
建造費は約1億4,000万円。
これは現在の貨幣価値で2,600億円超!
当時の国家予算の3%、東海道新幹線の総工費とほぼ同程度の巨費を投じた、まさに日本国の浮沈を賭けた大プロジェクトでした。
そして驚くべきは、その主砲の規模と破壊力。
正式名称 『94式45口径46センチ砲』 は当然ながら世界最大。
長さ2m・重さ1.46トンの砲弾は、一発当たり330kgの火薬を使用して発射されると時速2,800kmで飛び出したといわれ、射程距離は何と42km!
例えて言えば、東京駅から発射された小型乗用車程の重さの砲弾が、八王子や川越辺りまで飛んでいくということ。
写真の左に映っている人間と比べると、その大きさがお分かりいただけるかと・・・。(↓)
1940(昭和16)年8月8日に進水、やがて連合艦隊の旗艦となった大和でしたが、(真珠湾攻撃で連合艦隊自らが立証した如く) 大東亜戦争における海戦は、既に機動力を活かした航空機による空中戦がカギを握る時代に変わっていました。
その結果、艦隊の主役は戦艦から空母に移行。
大和は実質的な戦果を挙げることはできず、豪華な内装などを指して〝大和ホテル〟などと揶揄され、脅威の主砲も通算僅か311発を撃ったのみに留まったのでした。
アメリカ軍に上陸を許した沖縄防衛支援を目的とした 『菊水作戦』 遂行のため豊後水道から4月6日に出撃・・・しかし、その行動は暗号無線を悉く解読していたアメリカ軍に掌握されていました。
待ち構えていたアメリカ軍は1945(昭和20)年4月7日、鹿児島県坊ノ岬沖で大和率いる第二艦隊と交戦。
大和は米軍航空機約380機の波状攻撃を受けて火災を起こし、6発の爆弾と10発以上の魚雷を被弾。
最後に米軍が大和専用に開発したという潜行深度が深い魚雷を船底に受け、同日14時23分転覆。
その直後に大爆発を起こし、その巨体を3つに割られた史上最強の戦艦は沈没。
伊藤整一・第二艦隊司令長官、有賀幸作艦長以下乗員2,740名共々太平洋に散ったのでした。(生存者は269名)
※伊藤整一司令長官に関する過去記事は、こちら。(↓)
北緯30度43分17秒・東経128度04分00秒・深度345mの海底に、今も静かに沈む大和。
西暦2199年には 『宇宙戦艦ヤマト』 として蘇り、人類を救うらしいですが・・・戦艦大和乗組員の方々がもしこのアニメを見たら、果たしてどう思われるのでしょう?
宇宙に飛び立つヤマトの雄姿を見て、感激で涙するかも・・・。
母港であった広島・呉にある 『大和ミュージアム』 には、大和の模型が展示されています。
1/10スケールですが、それでも迫力は十分。
広島を訪れた際には、是非足をお運びください。
あらためて、2,740名の英霊のご冥福をお祈り致します。