クラシック音楽ファンの私ですが、ジャズと融合した
ラプソディ・イン・ブルー
Rhapsody in Blue
も大好き。
この名曲がニューヨークのエオリアンホールで初演されたのが、今からちょうど100年前の今日・1924年2月12日でした。
作曲したのは、クラシックの範疇に留まらずポピュラー音楽にも大きな影響・業績を残した、ジョージ・ガーシュウィン。
George Gershwin
1898年にニューヨークで生まれた彼は、本名をジェイコブ・ガーショヴィッツというロシア系ユダヤ人。
移民の父親がガーシュウィンの兄・アイラに音楽を習わせようと貧しい生活の中ピアノを買い与えたのですが、文学好きだった兄は見向きもせず。
そのアイラの代わりに12歳からピアノを弾くようになったのが、ジョージでした。
※アイラはその後作詞家となり、弟ジョージと組んで多くの名作を世に出したのですから、人の運命は分からないものです。
翌年からピアノや和声を習い始めた彼は、若い頃から歌手のピアノ伴奏者として頭角を現した彼は、21歳の時に 『スワニー』 のヒットで人気を得ると、以降アイラと組んでポピュラーのヒット曲を連発。
しかしポピュラー音楽に限界を感じた彼は、人気者だったにも拘わらずコロンビア大学の音楽科でクラシック音楽を学び直したのです。
その上で同曲が誕生したのですが、そこに至る経緯がちょっと面白いんです。
当時〝キング・オブ・ジャズ〟と謳われたシンフォナニック・ジャズの第一人者ポール・ホワイトマンが、まだあまり知られていなかったジャズを世間に認めてもらおうと一計を案じました。
売れっ子作曲家ガーシュウィンに作曲を依頼した・・・というデマ記事を、新聞に掲載させたのです。
それを耳にしたガーシゅウィンが抗議をすべく彼に電話をすると、 「もう記事になったんだから・・・。」 と逆に言いくるめられ、ピアノと小規模ジャズ・バンドのために2週間で一気に書き上げたのだそうな。
ガーシュウィン(左)とホワイトマン
音楽の垣根を取り払い、クラシックとジャズを融合させたこの名曲は、まさに〝瓢箪から駒〟の如く生まれたんですネ。
※現在私たちが耳にするオーケストレーション版は、『大峡谷』で知られるグローフェが編曲したもの。
ちなみにこの曲名、元は 『アメリカン・ラプソディ』 だったのですが、兄アイラが 『ラプソディ・イン・ブルー』(〝ジャズの語法による狂詩曲〟という意)を提案して変更されたのだとか。
兄の文才が、こんなところでも弟を助けたようです。
この曲のヒットで更に注目を集めた彼は、翌1925年にはTIME誌の表紙を飾りました。
その後 『パリのアメリカ人』 や 『ボギーとベス』 など様々な管弦楽曲・ビアノ曲・歌曲を生み出し、将来を嘱望されたガーシュウィンでしたが、脳腫瘍を患って1937年7月に38歳としう若さでこの世を去ってしまいました。
『ボレロ』でお馴染みのラヴェルに教えを請おうとした際、そのラヴェルをして 「貴方は既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない」 とまで言わしめた天才作曲家がこの世に残した不朽の名曲を、20世紀を代表する指揮者・作曲家レナード・バーンスタイン自らがピアノを弾いてニューヨーク・フィルを指揮した演奏でお聴きください。