引 用 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

古今東西、名演説は数あれど・・・おそらくその中で最も有名なものとして多くの方があげるのは、

 

 〝ゲティスバーグの演説〟

 

ではないでしょうか。

 

これは今からちょうど160年前の今日・1863年11月19日、第16代アメリカ大統領アブラハム・リンカーンが南北戦争の犠牲者を追悼するため、ペンシルバニア州・ゲティスバーグの国立戦没者墓地での奉献式典(開所式)で行ったもの。

 

     

 

ゲティスバーグは、その4ヶ月前に両軍合わせて約4万5千人以上の死傷者を出し、グラント将軍率いる北軍が勝利した南北戦争の激戦地。

 

   

 

そこで彼は、アメリカ存続のために戦って命を落とした兵士たちの栄誉を誇らかに称え、有名な一節の、

 

“government of the people, by the people, for the people”

      人民の、人民による、人民のための政治

 

は、彼の演説の最後に出てくるのです・・・が、実はこの式典に於いてリンカーンは主役ではありませんでした。

 

メイン演説を行ったのは、元上院議員で名演説家のエドワード・エヴァレット。

 

2時間にも及ぶ彼の大演説が終わった後に登壇したのが、現職大統領のリンカーン。

 

しかも彼は主催者側から 「手短に」 と依頼されていたため僅か2分程の演説に留め、しかも小声で聞き取りにくく当日は殆ど注目されなかったとか。

 

     

          ゲティスバーグ国立墓地

 

 しかし、たまたまこの演説を書き留めていた記者が後日記事にしたことによって、日の目を見ることに。

 

もっとも、この一節はリンカーンが考えたものではなく、1300年代に出された英訳聖書の序文が原典。

 

リンカーン以前にも複数の政治家がこれを引用していたといいますから、ほぼパクリ。

 

しかも彼自身は失敗だと思っていたこの演説が後世で有名になったのですから、世の中分からないというか皮肉なものです。

 

そしてこの名演説は、我が国にも決して無関係ではありません。

 

日本国憲法の草案前文に、この一節がマッカーサーによって盛り込まれたのです。

 

government is a sacred trust the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people

 

そしてこれはそのまま和訳され、前文として採用されました。

 

『そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。』

 

逆に言えば、現在の日本国憲法が過去の名文(や他国の憲法条文)を繋ぎ合わせた代物であることを示しています。

果たしてそんな〝英文和訳憲法〟を、私たちはいつまで金科玉条の如く押し頂き続けるのでしょうか?

おっと、話が少々脱線しました。

それでは最後に、この名演説の英文原稿と和訳をお読みください。

 

    

 

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

 

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure.

 

We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that the nation might live.

 

It is altogether fitting and proper that we should do this.

But, in a larger sense, we can not dedicatewe can not  Consecrate we can not hallow this ground.

 

The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract.

 

The world will little note, nor long remember what we say here, but it

can never forget what they did here.

 

It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished

work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain that this nation, under God, shall have a new birth of freedom and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

 

87年前、我々の父祖たちは自由の精神に育まれ、人は皆平等に創られているという信条に捧げられた新しい国家を、この大陸に誕生させました。

 

今我々は一大内戦の最中にあり、戦うことによって自由の精神を育み、自由の心情に捧げられたこの国家が、或いはこのようなあらゆる国家が、長く存続することが可能かどうかを試しているのです。

 

我々はそのような戦争の一大激戦地で、相会しているのです。

 

我々はこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所としてこの戦場の一部を捧げるために来ました。

我々がそうすることは、実に適切であり好ましいことである。

 

しかし更に大きな意味で、我々はこの土地を捧げることはできません。清め捧げることも、聖別することも、足すことも引くこともできません。

我々の貧弱な力を遥かに超越し、生存者・戦死者を問わず、ここで闘った勇敢な人々が既にこの土地を清め捧げているからです。

 

世界は我々がここで述べることにさして注意を払わず、長く記憶に留めることもないでしょう。

しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできません。

 

ここで戦った人々が気高くもこれまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここで捧げるべきは、むしろ生きている我々なのです。

我々の目の前に残された偉大な事業にここで身を捧げるべきは、むしろ我々自身なのです。

 

それは名誉ある戦死者たちが最後の力を出し尽くして身命を捧げた偉大なる大義に対して、彼らの後を受け継ぐ我々が一層の献身を決意することであり、彼らの死を決して無駄にしないため、またこの国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして人民の人民による人民のための政治を地球上から決して根絶させないために、我々がここで固く決意することなのです。

 


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