和 算 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

〝数学〟と聞いただけで、学生時代を思い出して顔をしかめる方もいらっしゃるでしょうネ。

 

微分・積分、サイン・コサイン・タンジェント・・・もう何の意味だか、私には今やサッパリ分かりません。

 

おそらく多くの方にとって最も苦手意識が強い学科だったであろう、この数学・・・実は日本人のレベルは大変に高いのだそうです。

 

「美的感受性に優れた日本人は数学向き」 という数学者もいらっしゃいますし、あの有名な 『フェルマーの最終定理』 の証明においては〝谷村・志村予想〟が多大な貢献をしましたから・・・。

 

今日は、江戸時代前期に中国の代数(天元術)を改良して筆算による計算法 『点竄術(てんざんじゅつ)』 を確立し、日本が世界に誇る数学 『和算』 の発展に大きく寄与した

 

 関 孝和

 

の命日・没後315周年にあたります。

 

     

 

しかし日本数学の草分けといえる彼の出生については、生地・年号も含め不明であり、数学の業績以外のプライベートに関しては謎の多い人物。

 

早くして関家の養子となり、吉田光由の 『塵劫記』 を独学で学んだ彼は、甲斐国甲府藩の徳川綱重・綱豊(後の6代将軍・家宣)に勘定吟味役として仕え、家宣が将軍になると直参として江戸詰めになる傍ら、数学研究に費やしました。

1683年に 『解状題之法』 を利用した行列式理論を発見すると、連立二元一次方程式の解を求める公式を、更にそれを四次・五次の行列式にまで広げたとのこと。

これはライプニッツ (1646-1716) の発見より10年も早い、実質的には世界初の発見と言っても過言ではないものだそうな。

 

その行列式が何たるかは私にはよく分かりませんが、有名なのは暦の作成上必要だったため取り組んだ〝円周率〟の計算。

彼は正131,072角形を使い、円周率を [3.14159265359微弱]と小数第11位まで計算したそうで、当時の数学レベルとしては世界でもトップクラスだったそうです。

 

       

       『括要算法』(↑) は、孝和の没後に弟子たちが刊行したもの

 

数々の功績をあげた彼は、1708(宝永5)年10月24日に病死しましたが、荒木村英や建部賢弘らの弟子たちが更に関流を発展させ、和算界の絶対的な勢力となりました。

 

と、ここで数学にまつわるエピソードをひとつご紹介しましょう。

数学界に於いて最も権威ある賞といえば、過去に広中平祐氏をはじめ3人の日本人が受賞したフィールズ賞ですが、なぜか(まもなく表彰式が行われる)ノーベル賞には科学の基礎と言える数学が含まれていません。

 

実は、それにはある理由が・・・。

 

ノーベル本人が恋した相手がソフィア・コワレフスカヤというロシア人の女性数学者で、その恋敵がミッタク・レフラーという、これまた優れた数学者でした。

 

  

     Alfred  Nobel       Sofia Kovalevskaya

 

レフラーはストックホルム大学の学長を務め、ソフィアを大学に招聘しロシア人初の大学教授にした人物。

「そんなヤツにノーベル賞を渡すわけにはいかない!」

と、嫉妬に燃えるノーベルが数学賞を創設しなかった・・・という説があるんですって。

 

彼も人の子というか、1人の男性だったんですかねェ。😅

 


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