【特別増刊・拡散希望】 逆 襲 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

かつて損保会社在籍時、新潟支店に転勤した際この騒動が起きた場所は担当エリアでした。

それは、今から77年前の今日、現在の村上市で起きた


 坂町事件
 

戦時中労働力不足を補うため、日本国内に移入してきた支那・韓国人らは、戦後の混乱・取り締まりの不備に乗じてその態度を一変させ、元々住みついていた同胞らと手を組んで闇米の流通・販売や酒の密売を行うように。

当時新潟県下越(新潟市以北)では在日本朝鮮人連盟が新発田市に事務所を置き、羽越本線・坂町・平木田の両駅を基地として闇米を1日あたり50俵、関西地方に出荷していました。

公然と経済統制違反を繰り返す彼らを取り締まるべく、1946(昭和21)年9月22日午前1時頃、村上警察署は加藤巡査部長以下署員7名を取り締まりのため坂町駅に派遣。

  

現場に居合わせた約50名の朝鮮人・中国人は警官の姿を見て一旦姿を隠しましたが、彼らがホームに置かれた闇米を押収しようとすると、一転して 「殴れ!」 と叫び声を上げながら襲いかかり,ちょうど到着した列車から更に約20名の朝鮮人が下車して加勢。

警察官に暴行を加えた挙句、発車した列車に飛び乗って逃走。

 

しかし加藤巡査部長は殴られながらも逃げ遅れた朝鮮人2名を逮捕し、署に連行しました。


更に同日午後、駅近くの駐在所からまたしても闇米運搬の情報が寄せられたため、河津警部補以下10名の警察官が坂町駅近くの旅館に向かい、闇米3俵(180kg)を所持していた中国人男女を見つけ、金屋村の闇米ブローカーの元に。

ところが、そこでまたしても中国人・韓国人約50名に襲われ、更に警官を助けようとした金屋村の自警団も逆に鳶口や木刀を奪われて襲われる始末。

その後進駐軍の係官が現地に赴き、支那・朝鮮人に対し法を順守するよう申し渡しを行い、ようやく警察は支那人11名・朝鮮人1名を逮捕。

しかし村上署から新潟署に身柄を移された彼らは軍政部員の取り調べ後、県外追放と再び新潟県内で闇米を取り扱わない旨の誓約をしただけで釈放されたといいます。

 

     

        事件を伝える当時の新聞記事
 

何とも腰の引けた対応ですが、これで支那・朝鮮人にナメられたのか、事件はこれで終わりませんでした。

翌23日の夕刊で、『MPも出動、坂町で深夜の乱闘』 と題して事件を伝えた新潟日報社と読売深読売新聞に対し3日後の9月26日、「報道に誤りがあることを認め、ラジオを通じて新潟県民に誤報だったという声明を出せ」 と朝鮮人16名が要求。

(情けないことに)読売新聞はこれに応じたものの、新潟日報は29日に拒否。

これに同社を訪れた朝鮮人16名が怒り、茶碗を投げつけ社内を破壊。 9名が逮捕・起訴され、有罪になったのです。

   

          破壊された新潟日報社内

彼ら在日支那・朝鮮人は、終戦前後から集団を組んで暴行・犯罪事件を繰り返してきました。

日本人には考えられない警察官・警察署襲撃を平気で行うことからも、いかに凶暴であるかが分かります。

 

彼らが起こした重大事件は、坂町事件だけでなく相当数に上ります。
特に在日朝鮮人の起こした事件だけでも、こんなに・・・。(

 

 

また現在でも、日本国内で起きている在日外国人の犯罪件数は、1位・朝鮮人 2位・支那人。

あまりそういう印象がないとすれば、それは朝日・毎日グループなど多くのマスメディアが〝通名報道〟しているから。

政府は労働力不足解消のために移民受け入れを考えているようですが、もしそうすれば戦前の日本と同じ・・・第2の坂町事件が起きることは、ほぼ間違いないでしょうネ。うー

 

 

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