我が国犯罪史上において真相や犯人が分からない、所謂〝迷宮入り〟した事件は多々あれど、政治絡みでVIPが絡んだ大事件といえば、今から75年前の今日・1949(昭和24)年7月5日に起きた
下山事件
ではないでしょうか。
ほぼ1ヶ月前に発足した日本国有鉄道(国鉄)の初代総裁に就任したばかりの下山定則氏は、同日朝8時過ぎに自宅を公用車で出発。
出勤途上、運転手に日本橋・三越に行くよう指示し、午前9時30分過ぎに 「5分くらいだから待ってくれ」 と運転手に告げて店内に入った後、車に戻らぬまま失踪。
捜索願を受けて警察が動いたものの見つからず、時計の針が深夜0時を30分程過ぎたあたりで、常磐線北千住-綾瀬の両駅間の線路上で轢断死体となって発見されました。
現場検証の様子
当時は大陸の内戦で支那共産党の勝利が決定的となり、また朝鮮半島では共産政権と親米政権の衝突が必至の状況だったため、アメリカを中心とする占領軍は日本をアジアにおける反共産主義の防波堤と位置付けます。
またインフレを立て直すため緊急財政策の一環として大規模な公務員の削減、特に国鉄に対しては10万人近い人員整理を要求。
これに対し、当然のことながら国鉄労働組合は猛反発。
その厳しい労使交渉の矢面に立ったのが下山総裁であり、彼が組合側に約3万人の解雇通告を行った翌日に事件は起きたのです。
下山氏の死亡原因については、過酷な労使交渉によるストレスが原因とする自殺説と、遺書がなく三越内で数人の男と共に歩く姿を目撃されていることから他殺とする説が取り沙汰されました。
また他殺だったとした場合、その犯人は組合関係者であるとする説や、そう見えるよう偽装したアメリカ諜報機関(キャノン機関)による犯行説などが様々な方面から唱えられました。
しかし肝心の警察はその死因を断定・公表することなく、約半年後の同年12月31日に捜査本部を解散。
その後も執拗に捜査を続けた刑事を突然転任させるなどして捜査を打ち切り、事件は〝お宮入り〟に。
まるで 〝日本版・ケネディ暗殺事件〟 の如く謎多き事件は、その直後に起きた三鷹事件・松山事件と共に国鉄三大ミステリーといわれ、これらは終戦直後の日本混乱期を象徴する出来事でした。
この事件に関しては過去に熊井啓監督によって映画化されたり、何冊もの検証書籍・小説が出版されていますが、その中で私がお勧めするのは、この一冊。
『謀殺 下山事件』(矢田喜三美雄・著 祥伝社・刊)
発生直後からこの事件を追い続けた新聞記者の筆による考察は、最も事件の真相に近づいている・・・そんな気がします。
下手な推理小説より面白いといっては失礼ですが、お読みいただく価値は十分あるかと。
私は遺体から血液が殆ど検出されなかったこと、遺体の場所より手前から血痕があったこと、そして捜査本部が数ヶ月後に実質的に解散したこと等々を考えあわせ、占領軍(GHQ)が別の場所で血を抜き取って失血死させ、遺体を線路上に遺棄して自殺に見せかけた上、圧力をかけて捜査を打ち切らせた・・・と推測しています。
しかし、その動機は? と問われると、答えに窮しますが。
皆さんも、学校では教えない日本の裏面史に触れてみて下さい。