ABO | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

いきなりですが、皆さんの血液型は何でしょうか?

私は几帳面といわれるA型、女王様は気ままだといわれるB型・・・それは両方とも当たってます。

日本人の血液型は、A型が最も多く約40%、次いでO型が約30%、B型が約20%、AB型が約10%だそうな。

世界的にもA型が最も多く、AB型が最も少ないそうですが、ブラジルやペルーなどのように、100%O型という国もあるとか。😲

この4種類に分類するのを〝ABО式血液型〟と言うのですが、今日はこの分類法を発見した

 カール・ラントシュタイナー 博士
     Karl Landsteiner

の命日・没後80周年にあたります。

   

博士は日本では明治元年となる1868年にウィーン近郊で生まれたユダヤ系オーストリア人。

6歳の時に法学博士で記者でもあった父親を亡くし、母子家庭で育った彼は、1891年ウィーン大学で医学の学位を取得し、化学にも精通。

その彼が同大学で病理学教室の助手をしていた1900年、イギリスの病理学者・シャタックの「肺炎患者の血球と血清(それぞれ別人)を混ぜていた際に凝集があった」という報告を聞き、これが正しければ肺炎の診断に利用できないか、という発想から追試を行います。

自分を含む22人の血液を血球と血清に分けて互いに混ぜ合わせた結果、凝集は健康な人同士でも起こりうる生理的現象で、同じ血清を入れた場合でも血球の持ち主によって凝集する場合としない場合があることに気が付きました。

 

それらを分類し、人の血液は3つのグループに分けられるとしてA型・B型・C型(現在のO型)と名付け、翌1901年11月に論文発表を行ったのです。

 

※その翌年、他の学者によって3群のいずれにも入らない第4の型(現在のAB型)が追加発表されました。
 

博士は1908年にウィーン大学の病理学教授となり、第一次世界大戦が勃発すると、オランダへ。

そして1922年にはニューヨークのロックフェラー研究所へ。

1930年には血液型の発見を評価されてノーベル生理学・医学賞を受賞。

そして1937年には弟子と共にRh因子も発見。

この間アメリカ国民となり、1939年に退職後もニューヨークで過ごした彼は、1943年6月26日に実験室で心臓発作を起こし、75歳でこの世を去りました。
 

血液型占いを信じる方は、是非ラントシュタイナー博士の冥福をお祈りください。

余談ですが、私たち夫婦が結婚した時、血液型占い好きの友人から「男のA型と女のB型は最悪の組み合わせなんだぜ」と冷やかされたというか警告されましたが、何とか30年以上持ってます。😅


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