海産物 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

(地域によっては違うかもしれませんが)毎週日曜日の午後6時30分から、『サザエさん』 をご覧になりながら食卓を囲むご家庭は多いはず。

このギネスブックにも認定されている超長寿・超人気アニメの原作者は、皆さんもよくご存じの


 長谷川 町子 さん

今日は、彼女の命日・三十三回忌にあたります。

 

      


1920(大正9)年に三人姉妹の次女として現在の佐賀県多久市に生まれた長谷川さんは、三菱炭鉱の技師だった父親の仕事の関係で、程なく福岡市に転居。


その父親が死去したため一家は1934(昭和9)年に上京し、彼女は現在の山脇高等学校に転校。

そして2歳頃から暇さえあれば絵を描いていたという町子さん本人の希望により、高校在学中から田河水泡に住み込みで弟子入り。

 

「女の子の弟子は、珍しいでしょう?」

と事ある毎に編集者に売り込んでくれた師匠の計らいによって、早くも15歳で少女倶楽部10月号に処女作品の 『狸の面』 が掲載され、漫画家デビュー。

     
        
 田河水泡師匠と長谷川さん        

 

しかしホームシックにかかって僅か1年足らずで出戻り、その後一家は福岡に疎開。

福岡でいくつか作品を発表し少女倶楽部に連載をしましたが、やかり長谷川さんといえば、『サザエさん』。

 

終戦後の1946年4月22日に、福岡の地方紙・夕刊フクニチに4コマ漫画 『サザエさん』 の連載を開始

連載開始に先立ち妹さんと海岸を散歩しながら構想を練ったため、登場人物が海産物の名前ばかりになったのだとか・・・。

 

その後東京への転居もあり掲載紙が変わったり、また途中休載期間もあったものの、1974年2月21日の朝日新聞の掲載をもって終了となるまで、その間の連載は実に6,477回に及びました。

 

        

          サザエさん 第1巻

 

テレビでの放映は、1969年10月5日にフジテレビで第1回の放送を行って以来、現在に至るまで55年も続いており、最高視聴率は39.4%、今でも昔に比べて落ちたとはいえコンスタントに2桁を叩き出すオバケ番組です。

 

一方で長谷川さんは著作権(知的財産権)の保護にも先駆者として活動され、1970年には無断でキャラクターを使用したバス会社を提訴したこともあったとか。

もっともその厳しい著作権管理のおかげで、フジテレビはドル箱である同番組の再放送ができず、また今もってDVD化されていませんが・・・。

それではここで、昭和時代の貴重なさざえさんの動画をご覧ください。

現在とは内容もキャラも隔世の感がありますが・・・。😱

 

 

1992(平成4)年5月27日、心不全により72歳で亡くなられた2ヵ月後、〝家庭漫画を通じて戦後の我が国社会に潤いと安らぎを与えた功〟により、国民栄誉賞を受賞されました。

 

また同年12月には、東京サザエさん学会から 『磯野家の謎』 という本が出版され、所謂〝謎本〟の元祖として人気を博しましたネ。

 

       

 

これ程までに老若男女を問わず、国民に愛され続けるマンガは 『サザエさん』 の他には見当たらないといっていいでしょう。

だって、原作者が亡くなられた後も放映が続くアニメなんて、そうそうありませんから。

そんな 『サザエさん』 の誕生秘話を知りたい方には、長谷川さん自身が筆を執ったこの本というかマンガをオススメします。


 
『サザエさん うちあけ話』 

            (朝日新聞出版・刊)

 

      


これを読めば、より一層サザエさんに愛着が湧くこと請け合い。

私も今日、久しぶりにこの本をめくりつつ女流漫画家の草分けのご冥福を祈りたいと思います。笑3

 

 

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