今や地球が太陽の周りを回っている惑星であることは、小学生でも知っていますが、大昔は地球を中心に太陽が回っているとする〝天動説〟が常識でした。
それを覆したのが、
ニコラウス・コペルニクス
Nicolaus Copernicus
であることは皆さんもご存知だと思いますが、彼の〝地動説〟を唱えた主著『天空の回転について』が出版されたのが、今からちょうど480年前の今日・1543年5月23日のことでした。
1473年に現在のポーランド中北部トルンで生まれた彼の経歴は多彩で、知事などの公職者でもあり、医師・法学者・占星術師でもありました。
また彼は実質価値の低い貨幣のほうが流通し、価値の高い方の貨幣は退蔵され流通しなくなる・・つまり「悪貨は良貨を駆逐する」ことに最初に気付いた人物としても知られてそうですから、レオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵する才能の持ち主だったと言えましょうか。
そして私が驚いたのは、彼が司教座聖堂参事会員(カノン)でもあったこと。
古来より天動説を支持してきた教会側にいた人物が、地動説を唱えたとは・・・。
コペルニクスは1542年に脳卒中で倒れ半身不随になっており、『天空の回転について』 が出版された翌日の5月24日に70歳でこの世を去っています。
初版本・表紙
自らの主張が日の目を見たことを確認してから亡くなったことはせめてもの慰めだったでしょうが、実は(広い意味での)地動説を唱えたのは、彼が最初ではありませんでした。
ナントその約1,800年前の紀元前280年前後に、ギリシャの天文学者アレスタルコスなる人物が
「宇宙の中心は地球でなく太陽であり、地球は自転して他の惑星と共に太陽の周囲を公転している」
という説を書物に残しているのだそうです。😨
しかしその後科学は〝暗黒時代〟に入り、長いこと天動説が支持されてきました。
ルネッサンス時代に入って再び科学探求が盛んになってコペルニクスが地動説を唱えたとはいえ、その後もこの説を支持したのは惑星の楕円軌道を発見したケプラーと、あのガリレオ・ガリレイ(↓)くらい。
その後地動説を曲げないガリレオを糾弾する宗教裁判が開かれ、彼が有罪とされてから実に350年以上経過した1992年、ようやくローマ法王庁が自らの誤りを認め謝罪。
人類は既成概念をなかなか打破できない生き物のようです。
それにしても・・・地動説は今や常識なのに、逆に我が国では大人も子供も天動説型の自己チュー人間が増えているのは、 ナゼ?😰