最 長 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は、ギネスブックに認定された、ある世界最長記録保持者の命日・三十七回忌にあたります。


その人の名は、

 平澤 貞通

若い方は知らずとも、私のような昭和世代ならピンとくる方も多いはず。

そう、俗に 『帝銀事件』 と言われる凶悪犯罪の犯人とされた死刑囚でした。


今から75年前の1948(昭和23)年1月26日午後3時過ぎ、閉店後の帝国銀行(現・三井住友銀行)椎名町支店に東京都防疫班の腕章をした男性が現れ、厚生省技官の名刺を出して

 

「近くで集団赤痢が発生し、感染者の一人がこの銀行に来ている。 

予防薬を飲んでもらいたい。」

 

と偽り、銀行員と用務員一家16名に青酸化合物を飲ませて12名を殺害し、現金・小切手を奪って逃走。

  

    事件直後の帝銀前           現場から運び出される棺

 

薬物の取扱状況から、当初旧陸軍細菌部隊(731部隊)関係者を中心に捜査が進められました。

しかし何故かGHQからその方面への捜査中止命令が出され、この事件前に起きた類似事件の遺留品である名刺を辿る捜査に切り替えられます。

 

後に名刑事と謳われた平塚八兵衛(↓)も捜査員として参加。

 



そして捜査線上に浮かび上がったのが、過去に銀行で詐欺事件を起こし事件直後に被害金額とほぼ同額を預金していた画家・平澤貞通容疑者でした。

 

       

 

逮捕された彼は、取り調べ段階で一旦犯行を自供。
公判では
一貫して無罪を主張するも、判決は死刑。 

 

上告は悉く棄却され、1955(昭和30)年には最高裁で死刑が確定しました。

 

                    

            東京地裁で公判中の平沢貞通容疑者

 

しかしこの判決には、当時から多くの疑問点が指摘されました。

 

◆ 本人が一貫して無罪を主張しており、かつ狂犬病予防接種の

  後遺症・コルサコフ症候群による虚言症があるとされた。

◆ 被害者の面通しでは、犯人と断定した者が1人もいなかった。

◆ 画家であった平澤容疑者には、青酸化合物の知識は全くない。

◆ 戦後まもなくの取調べは拷問に近いもので、自白は強要された可

  能性が高い。

 

現在に至るまで20回もの再審請求と5回の恩赦請求がなされていますが、いずれも受理されていません。

       
             
仙台刑務所内での平澤死刑囚

 

その一方で歴代の法務大臣は死刑執行命令書に判を押すことはなく・・・結局平澤死刑囚は、1987(昭和62)年5月10日に肺炎で95歳の生涯を閉じるまで、実に37年間も刑務所で過ごしたのです。

冒頭述べた世界記録というのは、この37年間が死刑
確定囚の収監期間としての世界最長記録なのです。😨

 

後に捜査員や協力者の中には 「真犯人は別にいる」 と発言する者もいたこの事件に関し、もし平澤死刑囚が無実であったのなら(いや仮に真犯人だとしても)、37年もの長きに渡って毎朝看守の靴音が近づいてくるたびに〝今日が最後の日かもしれない〟と怯え続けさせたことは、死刑執行よりも残酷な人権侵害ではなかったか?・・・
私にはそう思えてなりません。

 

現代のような科学捜査がなかった時代に起きた凶悪事件ですが、最も悲惨な運命を背負わされたのは、彼だったのかも。

別に真犯人がいたとしても99.9%死亡しており事件の完全解明は不可能でしょうが、今からでもDNA鑑定など最新の科学技術を駆使して平澤死刑囚の冤罪が晴らせるなら、何よりの供養になると私は思うのですが・・・。

 

 

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