一斉検挙 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

現在においても暴力革命を標榜し、公安調査庁から監視対象団体として指定されている日本共産党が設立されたのは、1922(大正11)年のこと。

当時の同党(第一次共産党)は非合法であり、1927年12月以降は工場細胞(支部)を基礎とした活動を行っていました。

しかし1928年2月1日に非合法機関紙 『赤旗(せっき)』 を発行し、労働者・農民を対象に活動を顕在化。

 

        

                 『赤旗』 創刊号


そして同月26日、1925年に施行された普通選挙法に基づき行われた昭和時代初となる第16回衆議院議員選挙において、共産党は(非合法だったため)労働農民党から11名の立候補者を擁立し、同党・日本労農党ら所謂〝無産政党〟が8議席を獲得。

公然と現体制を批判する共産党の増長を恐れた田中義一内閣は、同じ1925年に施行された治安維持法に基づき、共産党に対する弾圧を決定。

 

       

                  田中義一首相


そして今から95年前の今日・1928 (昭和2) 年3月15日早朝、警察が全国一斉に日本共産党らの活動拠点・党員の自宅等を捜索する

 三・一五事件

が起きました。

これによって党員・支持者ら約80名を検挙。

彼らに厳しい拷問を加えて党員名簿等の情報を取得した当局は、更に18日、22日と捜索を行い、31名を治安維持法違反で起訴し、市ヶ谷刑務所に収監しました。

この一斉取り締まりと締め付けによって、多くの党員は離脱。

※翌4月10日には、政府によって日本労働組合評議会・労働農民党・全日本無産青年同盟が解散させられ、更に翌1929年4月16日に全国1道3府24件で共産党員の一斉検挙が行われた (四・一六事件) ことによって、日本共産党は壊滅的な打撃を受けました。

プロレタリア作家・小林多喜二がこの事件に関して


 『一九二八・三・一五』 
 

     


という作品にしましたが、その拷問の凄惨な様子を描いたことで彼自身も特高にマークされて後に逮捕され、その拷問によって1933年に殺害されました。(↓)

 

 

その前年、共産党は資金稼ぎのために銀行強盗をも起こしています。(↓)

 

 

瀕死の状態にまで追い詰められた日本共産党でしたが、大東亜戦争の敗戦後に合法化され、現在も公党として活動しているのは周知の通り。


個人的にはなぜその時にGHQが合法化を認めたのか、また公安調査対象団体がどうして公党として活動できるのか、不思議で仕方ありません。

 

党員ならともかく、単に反自民で他の野党がだらしないからと言う理由で共産党に投票している有権者には、是非この政党の犯罪を含めた歴史を知っていただきたいと思います。

 

子々孫々の時代に、禍根を残さぬように・・・。

     

     絶対に誤りを認めない政党 日本共産党研究』 (産経新聞社・刊)

 

 

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