追 認 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

初めて行われた近代オリンピックが1896年のアテネ大会であることは、多くの方がご存知のはず。

でも、最初の冬季五輪がいつ・どこで開催されたか答えられる方は少ないかも。 その

 第1回シャモニー・モンブラン冬季五輪

が開催されたのは、今からちょうど100年前の今日・1924年1月25日・・・アテネ五輪から28年後のことでした。

開催地のシャモニー・モンブランは、アルプスの最高峰モンブランの麓にあるスイス・イタリア国境に近いフランスのリゾート地。

 

   

 

ですが、実はこの大会・・・最初から 『第1回冬季五輪』 として開催されたわけではありませんでした。
 

元々スキー・スケートなどのウィンター・スポーツは、ヨーロッパでもプレーする地域・時期が限られるため、都会暮らしだった初期のIOC委員たちにとって馴染みの薄いものでした。

しかも彼らが模範にしたギリシャの古代オリンピックに冬期競技はありませんから、“冬のオリンピック”が思い浮かぶはずもなし。

 

事情が変わったのは1906年の第4回ロンドン大会。

その数年前ロンドンにヨーロッパで初めて室内人工リンクが登場し、冬でなくともフィギュアスケートが出来るようになったことにロンドンのオリンピック組織委員会が目をつけたのです。

当時IOCには 「実施種目は近代スポーツに限る」 という取り決めしかなかったので、それを逆手に取ってフィギュアスケートを夏季五輪の競技種目にしたのです。

 

これを端緒として、IOCでウィンタースポーツが話題になり、第一次世界大戦後初の第7回アントワープ大会(1920年)には、フィギュアに加えてアイスホッケーも登場。

冬季大会開催への流れが強くなったことから、IOCは1921年のローザンヌIOC会議でこの問題を議題として取り上げました。

しかし冬季五輪開催に積極的なフランス・カナダ・スイスらと、ノルディックスキーの世界選手権を主催していたノルウェーやスウェーデンが反対して対立。

そこで1924年に第8回パリ五輪開催を予定していたフランスが、シャモニーでIOC後援の“国際冬季競技会”を開くことを提案。

それをIOCが翌年に 「第8回パリ大会の一部として試験的に大会を開いてみて、その結果で冬季五輪を開催するかどうか決定する」 と承認したことで、『国際冬季スポーツ週間』 として開催に至りました。

したがって当時のシャモニー・モンブラン大会のポスターも、第8回=“Ⅷ”と印刷されています。(↓)

     

 

1月25日~2月5日まで行われた同大会に参加したのは、16ヶ国・258人の選手たち。

日本も当初は参加を予定していましたが、その前年に関東大震災が起きたため、断念。

種目はアイスホッケー・カーリング・クロスカントリースキー・スキージャンプ・スピードスケート・ノルディック複合・フィギュアスケート・ボブスレー・ミリタリーパトロールと、現在の種目とほぼ同じ。

   

スーツ姿のスピードスケートに時代を感じますネ。😅

んっ? ミリタリーパトロールなんて、今はないぞ・・・と思った方もしらっしゃるでしょうが、これは1チーム4人が30kmのクロスカントリースキーを滑り、そのうち3人がコースの中間点に設けられた射撃場で250m離れた的に計18発の射撃を行い、4人全員がゴールした時点で競技終了・・・という、現在のバイアスロンの原型なんです。

またフィギュアスケートでは、弱冠11歳のソニア・ヘニー(ノルウェー)が出場して話題に。

      

彼女は以降のオリンピックで3連覇を果たし、その後女優としても活躍しました。

そして大会の成功を以って、IOCは翌1925年にようやく 『第1回冬季オリンピック競技大会』 として追認した・・・というわけ。

何事も、最初ってのは難産ですネ。😅


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