【特別増刊・拡散希望】 大 逆 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

皇居・桜田門というと、多くの方は江戸時代末期に大老・井伊直弼が暗殺された 『桜田門外の変』 を思い出す方が多いと思います。

が、実はそれよりもっと近代において、とんでもないテロ事件の舞台になっていたことをご存知の方は少ないでしょう。

何故なら、学校ではまず教えない史実ですから。

それは、今から91年前の今日・1932(昭和7)年1月8日に起きた、その名も

 桜田門事件

標的となったのは、畏れ多くも昭和天皇。 
そして襲撃を企てたのは、朝鮮人でした。

 

この日、陸軍始観兵式に行幸された昭和天皇が、帰路皇居の桜田門外の桜田町警視庁舎(現・警視庁本部庁舎)前に差し掛かった午前11時44分頃、突然沿道に飛び出した京城生まれの李奉昌なる男が馬車に向かって手榴弾を投げつけました。

   

幸いにも威力が小さく、また狙われた馬車は御料馬車の30m以上後方だったため、陛下には爆音が聞こえただけで事無きを得ました。 (ただし、近衛騎兵1名と馬2頭が負傷。)

李は警官ら5名によってその場で取り押さえられ、現行犯逮捕。

 

     
       逮捕・連行される李奉昌(左から2人目)

 

この男は、朝鮮独立を目指す金九が組織した抗日武装組織・韓人愛国団から天皇陛下襲撃のため差し向けられたテロリストでした。
 

しかし大それた犯行を目論んだ割に、この男はおマヌケ。

 

犯行の2日前に陛下が観兵式に臨席されることを新聞で知り、警戒網を突破したまでは良かったものの、襲撃予定だった赤坂付近で行列が来る前に食堂で飲酒し眠ってしまいます。

行列が通り過ぎたことを知った彼は慌てて円タクで追いかけ桜田門外で犯行に及んだものの、どの馬車に陛下が乗っているか知らぬまま当てずっぽうで2両目の馬車に手榴弾を投げつけた・・・という、実にお粗末な犯行でした。

そのおかげで陛下は無傷で済んだわけですが、たとえ未遂であっても、立派な大逆罪。

(※大逆罪とは、旧憲法下に於いて天皇及びその近親に対し危害を加える行為を国家そのものに対する反逆だと見做すした重大な犯罪。 1947年、日本国憲法施行に伴い消滅。)

 

大審院において9月16日に公判が行われ、即日結審。
同月30日に死刑が言い渡され、10月10日に執行されました。

日本にとっては単なるテロリストですが、驚くべきことに彼は1933年3月に駐中公使・有吉昭の暗殺未遂事件の犯人白貞基と、その翌月に時の上海公使で後に戦艦ミズーリ上で降伏文書に署名した重光葵外相に右足切断の重傷を負わせた 『虹口公園爆弾事件』 の犯人・尹奉吉と共に、韓国では〝独立三義士〟と讃えられているそうな。

1946年に李の遺骨は、やはり銃殺刑に処せられた尹の遺骨共々在日朝鮮人によって掘り起こされて韓国に持ち去られ、ソウル市内で国民葬が執り行われた上、両名には1962年に時の朴正煕大統領から建国勲章大統領章を追叙されています。

 

そして韓国の教科書には英雄として掲載されているそうで、しかも1992年には没後60周年を記念して彼の肖像画を絵柄にした記念切手が発行されています。

       

伊藤博文候の暗殺犯・安重根も同様に韓国で英雄視されていることは皆さんもご存知だと思いですが、テロリストを祭り上げる国とまともに付き合えるとは、私はとても思えません。

しかも更に信じられないのは、1999年に彼らテロリストを祀り銅像が建てられている公園に小沢一郎が表敬訪問し、〝独立三義士墓〟を参拝したこと。

私には、とても日本の政治家の所業とは思えません。

 

西大門刑務所歴史館の銅像前で跪いて謝罪した鳩山由紀夫共々国賊と言えましょう。

逆恨みを千年忘れない、莫大な借金は返さない、盗んだ島や仏像も返さない・・・こんな〝怨の国〟とまともな外交などできるわけがない、と私は思うのです。

反日汚鮮メディアの策略に乗って韓流ドラマやK-POPにハマっている日本人には、早く目を覚ましてもらいたいのですが・・・。
     

     

 

 

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