今日は、アメリカ在住の日系人で最も政界で活躍しアメリカ人から信頼されたであろう、
ダニエル・ケン・“ダン”・イノウエ 氏
Daniel Ken "Dan" Inouye
の命日・没後10周年にあたります。
イノウエ氏は1924年、移民した両親の間にハワイ・ホノルルで生まれました。
名門ハワイ大学マノア校に入学したイノウエ氏の在学中、真珠湾攻撃を皮切りに太平洋戦争が勃発すると、彼はアメリカ人として母国に忠誠を誓うため米軍に志願入隊。
日系人部隊として組織された第442連隊戦闘団に配属されました。
同戦闘団はヨーロッパ戦線の最前線に送り出され、延べ死傷率314%(!)という最も過酷な戦歴を残し、かつ史上最多の勲章を受けた部隊でしたが、彼も戦闘中に右腕を失い2年近く陸軍病院に入院した経歴を持っています。
しかしその勇猛な戦いぶりにより彼らは英雄としてアメリカ人に迎えられ、日系人の地位向上に大きな役割を果たしました。
片腕を失ったことで医学の道を諦めたイノウエ氏は、ハワイ大学に復学して政治学を専攻。 同大を卒業後ジョージ・ワシントン大学の法科大学院に進学。
そして1954年にハワイ議会議員に立候補・当選して政界入り・・・これがアメリカ初の日系人議員の誕生となりました。
1963年に民主党の上院議員になると、戦時補償法制定に尽力。
そして1972年にはウォーターゲート事件、1987年にはイラン・コントラ事件の上院調査特別委員会の委員長を務める一方、ロサンゼルスのリトル・トーキョー内にある全米日系人博物館の館長にも就任。
2000年には、軍人最高の栄誉である名誉勲章を授与されました。
約半世紀の長きにわたり上院議員として政界で活躍し、上院最古参の議員として大統領継承順位第3位となる上院仮議長に選出されるという、日系人・・・いやアジア人として最高の地位に上り詰めたイノウエ氏が88歳で天に召されたのは、2012年12月17日のこと。
最期の言葉は、「アロハ!」 だったといいます。
そしてアメリカは彼が亡くなった半年後に、新造されたミサイル駆逐艦に〝ダニエル・イノウエ〟の名を冠すると発表。
かつて敵国だった日本人の名を軍艦に冠したことで、氏のアメリカにおける評価の高さと尊敬の念の深さを証明したといえましょう。
更に2017年には、ハワイの玄関口として日本人にも親しまれていたホノルル国際空港の名称を〝ダニエル・K・イノウエ国際空港〟に変更。
アメリカにおける日系人・日本人の評価を高めたのは、イノウエ氏のように体を張って闘い続けた先人のおかげであることを、私たちは忘れてはなりません。
(但し同じ日系でも、中にはマイク・ホンダ元下院議員のような、とんでもない反日スバイもいますが・・・。)
感謝と尊敬の念を抱きつつ、イノウエ氏のご冥福をあらためてお祈り致します。