公 害 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

現在でも、都内で時々注意報が出される、光化学スモッグ。(↓)
 


さすがに死者は出ていませんが、かつては大気汚染が深刻な健康被害として注目された時代がありました。

それが国際社会に深刻な問題として取り上げられる契機となった史上最悪の事件、

 ロンドンスモッグ
 London Smog Disasters

が起きたのが、今からちょうど70年前の今日のことでした。

 

19世紀以降の産業革命と石炭燃料の利用により、ロンドンでは石炭を燃やした後の煙や煤(すす)が冬に発生する霧に混じって地表に滞留、スモッグと呼ばれる現象を引き起こして呼吸器疾患など多くの健康被害を出していました。

1950年代までの100年間に10回程の大規模なスモッグが発生していましたが、その中で最も健康被害が甚大だったのが、1952年。

 

同年12月5日から10日の間、イギリス上空は高気圧に覆われ上空は無風状態となり、冷たい霧がロンドンを覆いました。

あまりの寒さにロンドン市民は通常より多くの石炭を暖房に使い、またその頃ロンドンの路面電車がディーゼルバスに転換されていたため、暖房器具や火力発電所、ディーゼル車などから発生した亜硫酸ガスなどの大気汚染物質は冷たい大気の層に閉じ込められ、滞留・濃縮されて強酸性かつ高濃度の硫酸の霧を形成。

 

この濃いスモッグは前方が見えず運転ができない程で、特にロンドン東部の工業地帯・港湾地域では自分の足元も見えないほどの濃さだったとか。

 

   

そしてスモッグは屋外だけでなく建物内にまで侵入し、コンサート会場や映画館では「舞台やスクリーンが見えない」との理由で上演・上映が中止に。

当然民家にも入り込み、人々は目・喉・鼻の痛みを訴え病院には気管支炎・気管支肺炎・心臓病などの重症患者が続々と運び込まれ、数週間で12,000人の死者が出る大惨事となりました。

 

   

 

この事件は大気汚染が深刻な問題であることを世界に知らしめることに。

イギリス政府は多くの煤を出す燃料の使用を規制し、工場などが煤を含んだ排煙を出すことを禁じる新基準を打ち出し、大気浄化法が制定されました。

 

また燃料も石炭から天然ガスへ転換が進んだことで、大気汚染問題は徐々に改善され、後の液化技術によるLNGの発展にも寄与することに。

かつて日本でも同じような大気汚染が問題化したことがありました。

それは日本で初めての本格的な石油化学コンビナートが建設された三重県四日市市で1960年代を中心に起きた、いわゆる〝四日市喘息〟問題。

コンビナート内の工場から発生する大量の亜硫酸ガスによって多くの住民が喘息に苦しめられ、訴訟も起こされるなど公害が社会問題化したことを、私のような昭和世代の方ならご記憶でしょう。

住民に被害が出ないと環境改善が為されないのは、洋の東西を問わないようです。


           人気ブログランキング