野球の醍醐味は、打者にとってはホームラン、投手にとっては三振奪取。
しかしそれだけではありません。
1点を争う緊迫したゲーム終盤での盗塁は、試合の結果を左右するスリリングな場面ですょネ。
その盗塁で、今からちょうど50年前の今日・1972(昭和47)年9月26日に、阪急ブレーブスの
福 本 豊 選手
が、それまで世界記録であった米メジャーのM・ウィルス選手が持つ年間最高記録104個を抜く105個をマークしました。
現在の世界記録は米メジャーのR・ヘンダーソン選手が1982年に記録した130個に抜かれていますが、ここ数年の日本プロ野球における盗塁王は多くても50個前後ですから、この年彼が樹立した年間盗塁数106は、今後おそらく破られることのない〝不滅の日本記録〟といっていいでしょう。
福本選手は、1947(昭和22)年の大阪市生まれ。
大鉄高校時代は甲子園に出場しノンプロの松下電器に進んだものの、決して注目された選手ではありませんでした。
それが証拠に、1968年に阪急からドラフト指名されたのは7巡目。
しかも本人は指名されたことを全く知らず、翌朝会社でスポーツ新聞を読んでいた先輩から 「お前、指名されとるがな」 と言われて初めて知った・・・というエピソードまで残しています。 😲ホンマカイナ
しかし1年目から一軍ベンチ入りを果たした彼は、その年は僅か4盗塁だったものの、翌年のキャンプで臨時コーチを務めた陸上競技選手のアドバイスを受けて才能を開花。
2年目には一挙に75盗塁をマークして初の盗塁王を獲得すると、その2年後に見事世界記録を更新したのです。

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そもそも、盗塁に必要な要素とは何なのか?
もちろん足が速いことは必須条件ですが、かと言ってただ短距離走の記録が良ければいいというわけではありません。
以前100mの日本記録保持者で東京五輪の代表選手だった飯島秀雄選手がロッテ入りしたものの期待されたほどの盗塁が出来なかったことでも、その難しさが証明されています。
では人より足が速かったもののスピードは短距離選手程ではなかった福本選手が、何故これ程までに盗塁を増やせたのか?
それは、ピッチャーのクセを見抜いたこと。
彼は対戦する投手を8mmカメラで撮影、それを繰り返し見てクセを探し出し、それを元に思い切りのいいスタートをしたことが好結果に繋がったのです。
苦手だった近鉄のサウスポー・鈴木啓示投手のフォームを研究し、遂に牽制が来る時とバッターに投げる時とでは上げた右足のつま先の高さが1cmちょっと違うことを突き止め、それを試合で見極めた・・・というのですから、驚き!😳
今では各チームがビデオ撮影するのは当たり前ですが、当時は時代の先端を行っていたワケです。
その努力があったからこそ13年連続の盗塁王、そして通算盗塁数1,065という気の遠くなるような記録を打ち立てることが出来たのでしょう。
彼が盗んだのは、塁ではなくクセだった・・・というわけですネ。
残念ながらこの通算記録もR・ヘンダーソン選手の1,406個に抜かれていますが、試合数が違うことを考慮すれば、彼の記録は遜色のないもの。
そればかりか、通算安打数2,543、通算打率.291、ダイヤモンドグラブ賞12回という、まさに走・攻・守3拍子揃った名選手であることは、間違いありません。
(因みにR・ヘンダーソン選手は、守備が下手くそで有名でした。)😅
そんな福本選手ですが、私が一番印象的だったのは1983年に当時の通算盗塁世界記録を更新(939個)した際、中曽根首相から国民栄誉賞の授与を打診されたのに、それを断ったこと。
その理由が、
「そんなんもろたら、立ちションもでけへんようになる。」
大阪人の面目躍如というか、もう最高ですょネ。
現在は関西地区でタレントとして活躍されており、また野球解説はおもろいことで有名だとか。

是非東京進出して、巨人戦の解説をお願いしたいものです。

