拙ブログでは、たびたび学校で教えられることのない立派な日本人・軍人を取り上げていますが、今日は
たすく
岡 田 資 中将
を、ご紹介させていただきます。
1922年に陸軍大学校卒業後、駐英大使館付武官補佐官としてロンドンに赴任するなどした後、1927年に歩兵少佐となり、翌年には陸軍大学校教官を経て参謀本部入り。
1938年に陸軍少将、更に1941年には中将に昇進したエリート軍人でした。
そして第十三方面軍司令官兼東海軍管区司令官親補を務めていた1945(昭和20)年5月14日、米軍の名古屋空襲に遭遇。
その際撃墜されたB29からパラシュートで脱出したアメリカ軍搭乗員38名を 「無差別爆撃を行った戦争犯罪人」 として斬首・処刑。
終戦後、連合国側はこの行為を捕虜虐待罪として告発。
岡田中将はGHQに逮捕され、B級戦犯として軍事裁判(横浜法廷)にかけられました。 しかし岡田中将は、
「敗戦後の世相を見るに言語道断、何もかも悪い事は皆敗戦国が負うのか?
何故堂々と国家の正義を説き、国際情勢、民衆の要求、さては戦勝国の圧迫も、また重大なる戦因なりし事を明らかにしようとしないのか。
要人にして徒に勇気を欠きて死を急ぎ、或いは責任の存在を弁明するに汲々として武人の嗜みを棄て生に執着する等、真に暗然たらしめるものがある。」
と、この裁判を〝法戦〟と捉え徹底抗戦、
「米軍による空襲は一般市民を無慈悲に殺傷しようとした無差別攻撃である。 それを行った航空機乗組員はハーグ条約に違反した戦犯であり、捕虜ではない。」
という自らの主張を決して曲げませんでした。
しかしその一方で、捕虜処刑に関しては自分ひとりがその責任を負い、部下を庇い続けたといいます。
その高潔かつ毅然たる態度は米軍裁判官の心をも動かし、最終的には 「名古屋空襲は無差別攻撃であり、国際法違反だった」 という見解を引き出したのです。
担当検事・弁護士、また過去に侍従武官を務めた高松宮様からも助命・減刑嘆願が出され、そしてGHQの法務担当官からも 「終身刑が相当」 という意見が出されましたが、結局死刑判決は覆らず・・・1949(昭和24)年9月17日、岡田中将は59歳で絞首刑に処せられました。
死刑執行までの収監中に岡田中将が書き記した膨大な量の遺稿と、アメリカ公文書館で公開された裁判資料等を基に大岡昇平さんが筆を執った 『ながい旅』 を原作とした映画、
『明日への遺言』
が、2008年に公開されています。
本作品が遺作となった故・藤田まことさんが淡々と、そしてなおかつ重厚な演技で岡田中将を演じ、その妻を富司純子さんが好演した秀作ですので、是非一度ご覧になってみてください。
外圧に屈せず自らの主張を貫き通しながら一身に責任を負って部下の命を助けた武人がいたことを、私たちは次世代の若者に伝えるべきでしょう。
「私の代わりに若い諸君よ、元気に新時代に尽くせよ。」
岡田中将の言葉を噛み締めつつご冥福を祈り、敬礼!