「おっさん、あのな~・・・。」
「なんじゃ、卯一。」 少年の名は、卯一といった。
「笑っちゃいかんぞ。」
「笑うもんか。 早く言え、もったいぶるな。」
「やっぱ、やめとこ。 おっさん、笑うからなあ。」
「まあ、言いたくなければ言うな。 ところで卯一、夕食はどうした?」
「もうすぐ賄いのおばさんが持って来てくれるよ。」
「だったら、わしが取りに行ってくるよ。手が空いているからな。」
「おっさん、ついでにヤカンもらって来てくれ。 よく飲み込めないものだから、お茶を飲まんと吐いてしまうんだ」
「よっしゃ。」 と炊事場に行くと、小さなお盆が渡された。
鍋に入った粥、しなびた梅干し二個、小さく刻んだ沢庵が少々。
余りにも少ない食事に驚いて 「えっ、これだけですか。 お汁はないんですか?」 と聞くと、前にはスープを出していたが、少しでも脂気があると吐いてしまうので、今は出していないという。
「そうですか・・・。」
納得できないままに食事を運ぶと、それでも卯一は待っていた。
「おっさん、一人では食べられん。
そこについている匙でお粥をすくって、口に入れてくれ。
でもたくさんだとむせてしまうから、ちょっとずつだよ。」
三上さんは言われた通り、口に粥を運んでやった。
それでも12,3回匙で食べたら、もういらんと言った。
「吐きそうだ。 早くお茶をくれ!」
「何だ、これっぽっちか。 もっと食べんと体に悪いぞ。」
「もうええわい。 どっちみちおれは死ぬんだ、どうでもええ。」
「しょうがないなあ。 でも、ここに置いておくから、後で食べたくなったら、そう言え。」 と三上さんはお盆を床に置いた。
ゴホゴホとむせていた卯一は、咳が止むと聞いた。
「おっさん、夕食はどうするんだ?」
「自分の体も動かさんもんが、人の心配するな。」
「でも、お腹がすくだろう」
「すいても、ないもんは食べられんだろう。」 と三上さんがつっぱねるように言うと、卯一が大きな声をあげた。
「おっさん、おれの残りがあったろうが!」
馬鹿言え! それはそうだが、伝染病者の残り物を食べたら、それこそ病気がうつってしまうぞ・・・と喉まで出かかったが、それは言えなかった。
辛うじて 「箸もないのに食えるか」 と言って逃れると、「おれの匙があるぞ」 と畳み込むように言ってジッと見つめている。
どう行動するか、見極めようとしているかのようだ。
お前さんの親切心がどこまでのものか見せてくれ、と言っているようだ。
結核患者の匙で残り物を食べたら、これは本当に伝染する。
粥は既に生ぬるくなっており、菌が繁殖するには結構な暖かさだ。
「お前、本当にいらんのか」
「もう食べられん、早く食べろ!」
そこまで言われたら、覚悟を決めた。
「よし、じゃあ、もらうぞ!」・・・合掌して食べた。
味はまるでわからなかった。 噛まずに飲み込んだ。
それでも三杯目となると落ち着いて来て味もわかるようになり、最後はお茶を注いで飲み干した。
「お~っ、食べたな。」 卯一はうなった。
「オレのやったものを食べた奴はなかった。 おっさんが二人目だ。」
これには三上さんが驚いた。
「何だ、まだ他にもいるのか。 誰だい、そのもう一人って?」
そう問われて、卯一は何かを思い出すように、遠くを見た。
「昔、おれが神社の床下で寝起きしていた頃だ。
朝起きてみると、境内の大きな栴檀の木の下で泣いている九つぐらいの女の子がいた。
おい、どうしたと近寄っていってもその子は逃げないんだ。
ボロボロの着物を着たオレの姿を見たら、大抵の子は恐ろしがって逃げるのに。
『昨晩、おっかさんに叱られて、家を放り出されたの。』
朝御飯は食べたのかと聞くと、昨夜も食べていないという。
『ちぇっ、オレよりシケてやんの』 と言いながら縁の下に潜り込んで、取っておいたパンを差し出した。
『これでも、食いな!』 するとその子は目をまん丸くして、『えっ、兄ちゃんくれるの?』 と言いやがった。
オレのことを兄ちゃんって言ったんだ。 あの馬鹿たれめが。
『やるから早く食いな』 って言うと、むさぼるように食った。
それでオレはオレの分の半分も差し出して、『これもやるから食いな』 って言うと、それ食ったら兄ちゃんの分がなくなるというんだ。 あの馬鹿たれが。
いいから食えと言うと、美味しそうに食った。
『食べ終わったら、早う家に帰れよ』 と言ったが、その子は帰らんという。
帰らなかったら、おれみたいになっちまうぞと言っても、『おっかさん、大嫌い。 もう家には帰らん!』 と言う。
脅かしたら帰るだろうと思って 『帰らんと殴るぞ』 と拳を振り上げると、家の方に逃げた。
追っ掛けると、その子は二つ目の横丁を曲がって、豆腐屋に駆け込んでしまった。
『お前、昨晩はどこに行ってたんだ。心配したぞ!』
家の人がそういうのが聞こえてくる。
(ざまあ見ろ。帰りやがった。よかった、よかった)
オレはそう思って神社に帰ってきた。でもなあ、でもなあ・・・。」
そこまで話すと、卯一は涙声になった。
「どうした、泣いたりして。」
「オレはなあ、またもとの独りぼっちになってしまったんだ。」
卯一はわあわあ泣いた。あの枯れ切った体のどこから出るかと思うほどに泣きじゃくった。
・・・・・To be continued.