採 択 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

本日は我が国の憲法記念日ですが、他にも今日が憲法記念日である国があるのです。 

それは、ショパンを生んだ東欧の


 ポーランド

同国でヨーロッパ初、世界でもアメリカに次ぐ2番目の近代的成文憲法である 『5月3日憲法』 が議会で採択されたのが、今からちょうど230年前の今日でした。

かつてヨーロッパ最大の強国であったポーランド・リトアニア共和国では、17世紀初頭までその政治を大貴族たち(マグナート)が牛耳っていました。

 

しかし新大陸からの穀物輸出が本格化して相場が崩れたり、大規模な内戦が起きたことでインフレが長期化し農民たちの労働条件が劣悪になったことから、国内は混乱。

それに乗じる形で外圧を受けた同国は、1772年にロシア・プロイセン・オーストリアによって第1回目のポーランド分割に署名させられ、約8万㎢(ほぼ北海道の面積)の領土を喪失。

国家存亡の危機を迎えると、国王スタニスワフ2世アウグストは様々な改革を推進。

 

       
        Stanisław II August (1732-1798)

その中のひとつに、新憲法の制定がありました。

スタニスワフ二世アウグスト、王冠領宮内長官イグナツィ・ポトツキ、聖職者・哲学者のフゴ・コウォンタイ神父らにより、ヨーロッパ啓蒙主義の政治・社会思想やアメリカの1787年憲法を参考にして起草された新憲法は、1788年に誕生した〝4年議会〟によって殆どクーデターのような形で1792年5月3日に採択されました。


    
       ワルシャワの王宮で.5月3日憲法が採択された場面

 

同憲法は、議会(立法)・国王(行政)・裁判所(司法)による三権分立の原則及び補遺の支配を明示。

国王には立法権がなく、行政は国王に代わり議会の代表者である首相が取り仕切る評議会が行い、国軍の最高司令官も国王ではなく首相とするなど、現代の基準に照らしても極めて先進的かつ完成度の高い民主憲法でした。

がしかし、周辺諸国はこの先進的な憲法を危険思想と見做し警戒。

そしてそれまでの権益を失うこととなった大貴族たちは、なんと敵であるロシア帝国のエカテリーナ2世と結託してタルゴヴィツァ連盟を結成して、国内にロシア軍を引き入れてしまいます。

       

         Yekaterina II Alekseyevna (1729-1796)

渡りに船となったロシアは、新憲法採択から1年後の1792年5月に嬉々としてポーランド国内に侵攻。(護憲戦争)

圧倒的な戦力に為す術がないポーランドは破れ、結局ロシアによって新憲法は破棄されることに。

スタニスワフ2世は強制的に退位させられ、サンクトペテルブルクへと居を移して半ば監視状態に置かれながら、ロシア政府から多額の年金を支給されて余生を送りました。

そして第2回のポーランド分割に続き、1795年の第3回目分割によってポーランドは消滅。

再びポーランドが独立して地図上に再びその名が記載されたのは、124年後の1919年。

同年に5月3日は憲法記念日の祝日となりました・・・が、1940年に第2次世界大戦とポーランド人民共和国時代に5月3日の祝賀は禁止に。

この祝日が復活したのは、それから半世紀も経った1990年からでした。


画期的な新憲法を採択したがために、隣国の侵略を許し国家崩壊を招くとは何とも皮肉ですが、我が国に少なからずいる〝護憲派〟はこの歴史に学ぶべきでしょう。

「(平和)憲法には、何の国防能力もない」 ことを。



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