優 駿  | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

競馬を全くやらない方でも、〝ダービー〟という単語は耳にしたことがあるはず。

 

その名のつく我が国最高峰の重賞レースであり、古くから芝の2,400mで行われる3歳(旧4歳)馬の日本一決定戦・日本ダービー ・・・正式名称

 東京優駿

は、優勝した騎手もダービージョッキーの仲間入りを果たせる、まさに日本における〝競馬の祭典〟です。


このレースが初めて開催されたのが、今からちょうど90年前の今日・1932(昭和7)年4月24日のことでした。

  

           第1回東京優駿ゴール直前

 

それまでの戦争で軍馬の重要性を認識した政府の方針で産馬育成が奨励されてきたものの、1908年に馬券の発売が禁止され産地は大打撃を被りました。

 

そこで業者は元陸軍軍人で東京競馬倶楽部立ち上げに参画し会長を務めていた安田伊佐衛門(↓)に 「イギリスのダービーステークスと同様の高額賞金レースを創設して馬産を奨励してほしい」 と依頼。

 

        

 

それに賛同した彼が、出走条件や距離などを極力本場に摸した形での開催を1930年に決定。 

 

その2年後に第一回が目黒競馬場 (旧・東京競馬場 1,600m) で開催されたというわけです。

 

因みに彼は日本中央競馬会(JRA)初代理事長に就任するなど約半世紀にわたり日本競馬近代化に貢献し〝日本競馬の父〟と呼ばれており、その名はG1レース 『安田記念』 に残されています。

 

当時の優勝賞金は1万円(※昨年は1億5千万円)でしたが、これは従来の国内最高賞金の2倍近かったそうで、このレース開始により国内の産馬業界は息を吹き返しました。


ところで、皆さんは〝ダービー〟という名の由来をご存じですか?


これ、実は人の名前なんです。


本場イギリスのダービーステークスは1780年から始まった歴史あるレースですが、これを創設したのは第12代ダービー伯爵エドワード・スミス・スタンリーと、チャールズ・バンベリー準男爵、それにスタンリーの義叔父の3人。

 

そしてレース名に誰の名を冠するかを、コイントスで決めたとか。

 

その結果スタンリー卿が勝って〝ダービー〟になったわけですが、もしかしたら我が国の競馬の祭典は 『日本バンベリー』 になっていたかも?

     
      
Edward Smith-Stanley, 12th Earl of Derby 

 

でも、それだと何となくシマらない名前に聞こえますょネ。

 

因みに、栄えある東京優駿初代優勝馬の名は、ワカタカ。(↓)

  

果たして来月29日に行われる第89回日本ダービーの栄冠はどの馬に!? 

 

        

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