家政婦 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は、かつてお茶の間で親しまれた名女優、

 市原 悦子  さん

の命日・没後3周年にあたります。

       

市原(本名:塩見悦子)さんは、二・二六事件が起きる約1ヶ月前の1936(昭和11)年1月に銀行員の長女として千葉市で生まれました。

疎開先の千葉県四街道市で終戦を迎えた彼女は、
中学2年生の時に千葉市末広中学校へ転校した際に演劇クラブに入ったことが、女優業のスタートに。

千葉県立第一高等学校でも演劇部に所属し、県の演劇大会で個人演技賞を獲得するとと、卒業後富士銀行への就職が決まっていたにもかかわらず劇団俳優座養成所に6期生として大山のぶ代さんらと共に入所。

 

1957年劇団俳優座に入団し、『りこうなお嫁さん』 でデビュー。

同年に雑誌 『新劇』 の新人推賞を受賞すると、1959年には『千鳥』で芸術祭奨励賞、1963年に新劇演劇賞、1964年にゴールデン・アロー賞新人賞に輝き、早くも新劇女優として高い評価を得ました。

またこの間、1961年には俳優座養成所同期の塩見哲さんと結婚。

 

       

 

1971年に、ご主人の塩見さんと共に俳優座を退団し、翌年に番衆プロを設立した市原さんは、演技もさることながらその声も超一流。

1975年から始まったテレビアニメ 『まんが日本昔ばなし』 では、常田富士夫さんと2人だけで全てのキャラを演じるという離れ業を披露。

同番組は私も観ていましたが、言われるまでそうとは気付きませんでした。

俳優座の先輩・仲代達矢さんをして、「彼女の声は日本の演劇界の宝」 と言わしめたのも頷けます。

同じ1975年に主役の主婦を演じた 『赤い殺意』 は、昼ドラとしては17.5%という異例の高視聴率をマーク。

1990年には映画 『黒い雨』 で日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞を獲得しました。

しかし彼女の代表作と言えば、何と言っても1983年から始まってたテレビドラマ 『家政婦は見た!』 シリーズでしょう。

常に高視聴率をマークした同番組は、2008年まで25年間の長きに渡り、お茶の間を楽しませてくれました。

       

 

大河ドラマや2時間ドラマなど数多くの作品に出演した市原さんでしたが、2014年に53年間連れ添ったご主人に先立たれ、 2017年には自己免疫性脊髄炎のため休業。

一時復帰しましたが、その後入退院を繰り返した末、2019(平成31)年1月12日に心不全のため82歳でこの世を去りました。

懐かしい日本昔ばなしのナレーションを聴きつつ、あらためて日本を代表する大女優のご冥福を祈りたいと存じます。




余談ですが、市原さん自身は一度も家政婦を雇ったことはなかったそうな・・・。😅


 

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