今日は、江戸時代後期に浮世絵師・作家として活躍した
式亭 三馬
の命日・没後200周年にあたります。
三馬(本名:菊地泰輔)は1776(安永5)年に版木師・菊地茂兵衛の長男として現在の台東区雷門で生まれました。
本人曰く幼少期から読書が好きだったという三馬は、9~16歳まで日本橋本石町の地本問屋・堀野屋仁兵衛宅に住み込んで出版業界の事情を学び、戯作者の道へ。
18歳の時、黄表紙(絵本の一種)『天道浮世出星操』 を皮切りに、『人間一心覗替繰』 な どを出版。
1797年に本屋の蘭香堂・万屋治右衛門の婿養子となり本屋と作家の二足の草鞋を履いたものの、当初はヒット作に恵まれなかった由。
それどころか1799(寛政11年)に火消人足の喧嘩をテーマにして出版した 『侠太平記向鉢巻』 で、喧嘩に負けたと書かれた火消よ組の反感を買う羽目に。
怒った彼等に三馬と版元の自宅が破壊されたことから裁判沙汰となり、結果三馬は手鎖50日の処罰を受けることに。
しかしこの事件が却って三馬の名を世間に知らしめることとなったそうですから、まさにケガの功名・・・これぞまさしく〝炎上商法〟?😅
30歳の時に妻を亡くしたことから婿入り先を出て、自ら古本屋を開くと、かつて住み込んで世話になった故・堀野屋仁兵衛の娘と再婚。
そして1809(文化6)年に、それまで敵討ちモノが主流だった出版界で初めて江戸庶民の日常を描いた滑稽本 『浮世風呂』 を発表したところ、これが大ヒット。
あまりの人気に同作はその後計4作出版され、更に姉妹編として出された 『浮世床』 も人気を集めます。
この人気にあやかった三馬は古本屋をやめて江戸本町に薬屋(ドラッグストア)『式亭正舗』を開店。
自身の作品でちゃっかり店の宣伝もして商品は飛ぶように売れたそうですから、中々の商売上手でもあったようです。
ただ同時期に活躍した滝沢(曲亭)馬琴(↓)とは、犬猿の仲だったようですが・・・。
非常に執筆スピードが速く多作(但し現代で言う盗作もかなりあった模様)であり、経済的にも裕福にはなったものの、元々病弱で大酒飲みだった彼は1822(文政5)年1月6日に46歳の若さでこの世を去ってしまいました。
もう少し長生きして作品を残して欲しかった気もしますが・・・。
江戸時代の生活・風俗に、彼の作品を通して触れるのも一興かと。
『式亭三馬』 (棚橋正博・著 ぺりかん社・刊)