流通王 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は、かつて〝カリスマ経営者〟と言われた実業家の命日・十七回忌にあたります。 その方とは、

 

 中内 功 氏  
 
(※正確なお名前は、右側が〝カ〟ではなく〝刀〟)

 

言わずと知れた、スーバーマーケット・ダイエーの創業社長です。

 

       

 

1922年、大阪で生まれた中内氏は、神戸高等商業高校(※神戸商科大学の前身)を卒業後に折からの太平洋戦争に召集され、フィリピンに出征。 

重傷を負いながらも奇跡的に生還を果たします。

 

復員後は実家の薬局を手伝うことから始め、1957年に大栄薬品工業を実弟と設立。 

 

〝流通革命〟を起こすべく、医薬品・食品を薄利多売する 『主婦の店ダイエー薬局』 を開店。

 

悲惨な戦争体験から、「人の幸せとは、まず物質的な豊かさを満たすこと」 という信念を持つに至った中内氏は、松下電器との値引き販売トラブルなど既存業者からの様々な圧力を受けながらも、消費者の支持を受けて着実に会社を成長させていきました。

    

 

1972年には小売業として始めて三越を抜いて売上高トップにのし上がり、コンビニのローソンなど様々な業種の会社やプロ野球々団をも買収・・・一代にしてダイエー帝国を築き上げました。

 

しかし残念だったのは、一旦は世襲させないと公言していながら結局は長男を入社させ、外部から引っ張ってきた有能な人材を切ってワンマン体制に逆戻りしてしまったこと。

 

それだけが原因ではないにしろ、巨大になり過ぎた帝国に轢みが生じ始め、阪神淡路大震災の被害をまともに受けたことも決定的な要因となって・・・消費者の圧倒的支持を受けていたはずの中内氏は、

 

「消費者が見えんようになった」

 

という言葉を残し、ダイエーの役職から退任。

 

2004年には豪邸や全株式を売却して、完全にダイエーと決別。

 

流通業界初の勲一等瑞宝章を受章するほどの実績を残しながら、なぜ石持て追われるように自ら創業した会社を去らねばならなかったのか?

 

中内氏の経営理念や波乱万丈・栄枯盛衰の人生は、多くの教訓を残してくれました。   

 

2005(平成17)年9月19日、脳梗塞により83歳でこの世を去られた〝流通王〟のご冥福を、あらためてお祈り致します。笑3

 

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