速射砲 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

現在テレビに露出しているお笑い芸人は、その多くが漫才コンビ。

 

今まで何回か漫才ブームがありましたが、最も爆発的だったのはB&B、ツービート、そして島田紳助・松本竜介らが活躍した1980年代前半。

 

その時期、彼らに先んじて人気を博したのが

 

 星セント・ルイス

 

今日はこのコンビの向かって右側に立っていた長身のボケ役、星セントさんの命日・・・早いもので、十七回忌にあたります。

 

    

 

星セント (本名・村山袈娑夫) さんは、1948(昭和23)年に長野県・長野市で生まれました。


私と同郷だった故に、彼の活躍には一層親しみを感じたものです。

 

長野中央高校在学時から芸人志望で、森繁久弥さんや谷啓さんらに手紙をセッセと出していたとのこと。

高校を卒業してから東京プリンスホテルに入社後数回の転職を経て、手紙の返事をくれた漫才コンビの獅子てんや・瀬戸わんやさんに1969年弟子入り。

 

一方、別の漫才コンビ・晴乃ピーチクパーチクに弟子入りしていた藤江充夫さんは、師匠の2人がコンビ解消したため、てんや・わんや師匠の紹介で村山さんと引き合わされ、1972年に星セント・ルイスとしてコンビ結成。

 

元々セントさんは役者志向もあったそうで、ネタに演劇のセリフを取り入れたり自らも舞台に立つなどしていたため、昔気質の浅草芸人からは煙たがられていたそうな。

 

また皮ジャン・ブーツ姿で寄席に上がり、それまではキチッとしたスーツ姿にネクタイの正装で舞台に立つのが当たり前だった漫才界の常識を打ち破った先駆者(?)でもありました。

 

最近の若手漫才師たちの舞台衣装を見れば、その流れがすっかり定着しているのが分かります。

 

そして何と言っても彼らの特徴は、速射砲の如き猛烈な早口。

 

〝田園調布に家が建つ〟

一世を風靡したこのフレーズなどを息つく間もなく連発・・・
お客さんがついていくのが大変なほどのスピードでした。

 

それでも実力は、当時ピカ一。

 

1977年にはツービートらを抑えてNHK漫才コンクールで優勝。

1980年には漫才ブームの火付け役となったTV番組・『花王名人劇場』 で、あの関西の重鎮やすし・きよし師匠の向こうを張って、関東の雄として出演した程。

 

しかしその後は 『THE MANZAI』 等の人気番組を手がけた名プロデャーサー・横澤彪氏らと方向性が合わず、徐々にTV画面からその姿を消すことに。

 ※横澤氏に関する過去記事は、こちら。(↓)

 

更に悪い事は重なり、2002年には肺ガンがみつかって右肺を全摘出。 

このため声が出せなくなり、翌年にやむなくコンビを解消。 

 

そして2004(平成16)年7月22日・・・肺がんによりまだ56歳の若さでこの世を去りました。

その後を追うように、相方のセントさんも翌年3月に同じ肺がんで、しかも同じ56歳で他界。

 

しかし実はこのお2人、コンビを組んで3年目くらいから不仲だったそうで、ネタ合わせと舞台出演の時以外は会話が無く、お互いの自宅住所すら知らなかったとか。驚き顔 ヘェ~

 

今にして思えば、セントさんのルイスさんに対する毒舌・・・妙にリアルだったような気もします。

 

彼ら2人は、天国で果たして再びコンビを組んでいるや否や?

 

漫才界の旧体質を打破しブームの火付け役となった、星セント・ルイスのご冥福をお祈り致します。笑3 

 

それでは最後に、彼らの懐かしい漫才をご覧ください。(
 




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