outlow | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

〝アウトロー〟=無法者・お尋ね者・・・この言葉から、皆さんは誰をイメージするでしょうか?

 

私がまず思い浮かべるのは、

 

 ビリー・ザ・キッド

     Billy the Kid


今日は西部開拓時代のアメリカが生んだ、この史上最も有名かつ人気のある無法者の命日・没後140周年にあたります。

 

       

 

本名をヘンリー・マッカーティ (Henry McCarty )と伝えられる彼は、1859年にニューヨークで生まれたそうな。

 

ビリーの幼児時代に父親が失踪したため、母親は彼の兄を連れてインディアナ州に移り別の男性と同棲。


その義父がゴールド・ラッシュに惹かれ、一家はニューメキシコ州に移住。


そこで母親は彼と再婚するも、ビリーが14歳の時に死亡。

 

義父と折り合いが悪かったビリーは家を出るのですが、この時から〝さすらいの人生〟が始まったようです。

 

15歳で仲間と支那人が経営する洗濯屋から衣料品を盗んで逮捕され、その2日後に脱獄。

 

アリゾナに逃走し牧場でカウボーイとして働き始めた頃、早撃ちと乗馬が上手かった彼は身長が約160cmと小柄だったことから、仲間内に〝ビリー・ザ・キッド〟と呼ばれるように。

 

17歳の時には、酒場でカード・ゲームのトラブルから黒人の鍛冶屋を射殺。

 

その後再び脱獄して窃盗団の一味に加わって牧場を転々、一時は堅気の生活に戻ったこともあったようですが、住んでいた地域・リンカン郡で起きた街を二分する勢力争いが、彼の運命を決定づけます。

 

雇い主だったタンストールが殺されたことでビリーも抗争の渦中に巻き込まれ、4人を射殺。

 

1度は自首したものの脱走、そして郡保安官に任命された彼の友人パット・ギャレットによって逮捕され絞首刑判決を受けましたが、執行前に再び逃走。

 

しかし1881年7月14日、潜伏先を急襲したギャレットによりビリーは遂に射殺され、21歳の若さで人生に幕を下ろしたのです。

       

              Patrick Floyd Jarvis Garrett

 

犯行 → 逮捕 → 脱走という〝犯罪スパイラル〟を繰り返した彼は、累計21人も殺害したと伝えられていますが、実際に直接手を下したのは単独で4人、仲間との共犯で5人の9人・・・というのが真相とも。

 

古今東西、こういうエビソードには尾ヒレがつくようですネ。

 

そして (失礼ながら) 面白いのは、彼の墓。(

 

       ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-Billy the Kid

 

ご覧の通り、鉄柵で囲まれているんです。

何故かというと、彼の墓石を削っていく不届き者がいるから。

 

日本でも鼠小僧の墓石が 「なかなか捕まらなかったから」 という理由で同業者(?)らに削り取られるのは有名ですが、ビリーの墓石もご同様のようです。
 

死してなお、鉄格子の中に入れられているビリー・・・あの世でどう思っているんでしょうネ?うー



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