今から55年前の今日・1965(昭和40)年6月22日、我が国にとっては実に忌まわしいというか、現在に至るまで禍根を残している
日韓基本条約
(正式名称:日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)
の署名が東京で行われました。
佐藤栄作総理大臣と朴正煕大統領との間で締結され、同年12月18日に発効した同条約の締結までには、実に14年の歳月を要しました。
日韓の国交回復交渉は、1951年・・・吉田内閣と李承晩政権時代から開始されましたが、1910年の日韓併合無効を主張し謝罪を求める韓国に対し、日本はこれを拒否。
更に朝鮮戦争や李承晩ラインの一方的な設定等があり、交渉は難航。
※李承晩ラインに関する関連記事は、こちら。(↓)
しかし1961年、クーデターによって軍事政権を樹立した朴正煕大統領にとっては国内の経済立て直しが急務であり、そのために日本の経済支援が必要だったこと、またベトナムに軍事介入したことから朝鮮半島の安定が不可欠となったアメリカからの仲介(圧力?)により、同条約は締結の運びとなりました。
7箇条からなる同条約により、日本は韓国を正式に国家として認め国交を樹立。
そして日本は韓国に対し3億ドル(当時1ドル=360円)の資金供与、2億ドルの有償援助、3億ドルの民間企業からの資金協力・・・合計8億ドルもの巨額な資金が支払われました。
当時韓国の国家予算が3.5億ドルでしたから、国家予算の2年分以上・・・如何に巨額な支出だったかが分かります。
この資金を元手に韓国はインフラ整備を行い、〝漢江の奇跡〟と呼ばれる復興を成し遂げることができました。
(ただしこの資金には個人に対する補償金が含まれていましたが、同国はその殆どをインフラ整備に回したため、2014年に国内で裁判を起こされています。)
そのかわり、日本に対して韓国は賠償権を放棄することに。
にも拘らず、同国が日本に対し現代にいたるまで慰安婦問題や徴用工問題等で執拗に謝罪や賠償金を要求してきているのは、皆さんもご存知の通り。
いうなれば、交通事故等で示談書を取り交わし支払いも終わっているのに、また何度も謝罪とカネを要求してくるようなもの。
こんなヤ〇ザでもしないような無法を国家がはたらくのですから、呆れます。
そもそも日韓併合は彼等から望んだことであり、日本の支援のおかげで経済・文化水準は飛躍的に進化しました。
更に彼等は大東亜戦争で日本軍人として連合国と戦ったにもかかわらず、終戦後は一転して戦勝国側だったとして日本に対し賠償を求めるという掌返しもしています。
さすがにアメリカら連合国側はその主張を認めませんでしたが。
私に言わせれば、借りた金を返さずに強請り集りを繰り返す、まさに恩を仇で返す背徳行為。
2年前、優勝カップに足を乗せた無礼な行為に主催国の支那が怒って優勝を剥奪したら、「謝ったのだから許すのが当然」 と開き直ったことがありました。
日本がいくら謝っても許さないくせに、この言い草には呆れるばかり。
こういう民族とは、関わるべきではないのです。
かつて福沢諭吉翁ら先人が警告した通りに。
彼等には関わらない、教えない、助けない・・・これが日本に安寧をもたらす最低条件でしょう。