将棋ファンの私にとって、それは少なからずショックを受けた出来事でした。
それは今から26年前の1993(平成5)年11月22日に起きた
森安秀光九段刺殺事件
つまり今日は、森安九段の二十七回忌にあたります。
森安九段は、1949(昭和24)年に岡山県笠岡市で生まれました。
小学校6年生の時に兄・正幸さんと共に奨励会に入会し、1968年には兄より一足早く四段に昇進。
新人王戦で優勝するなど、関西棋界のホープとして脚光を浴びました。
1980年にはA級八段となり、トップ棋士の仲間入り。
〝森安だるま流〟と呼ばれる粘り強さを信条として、1983年には棋聖戦に勝ち初タイトルを獲得。
しかし翌年A級から陥落し、一時はB級2組まで落ち低迷しましたが、1988年に九段に昇進し復活の兆しが見えてきた矢先に、事件は起きました。
1993年11月23日午前9時前、西宮市にある自宅書斎で森安九段がされて死んでいるのを妻が発見。(死亡推定時刻は22日午後5~6時)
警察に通報しようとしたところ、包丁を持った当時12歳だった中学1年生の長男に襲われ、首に全治2週間のケガを負います。
それでも気丈に包丁を奪うと、長男は
「ボクの逃げ場がないんや」
と絶叫して、そのまま家を飛び出しました。
妻は隣家に警察への通報を依頼し、事件が発覚。
警察が長男の行方を追い、翌24日午後2時過ぎ、自宅から約7km離れた行きつけのファミコンショップで発見・保護されました。
警察の取り調べに対して、長男は母を刺したことは認めたものの、受験勉強を厳しく強いていたという父親を批判する供述はしたものの、刺殺についてはは「知らない」と一貫して否認。
そして翌年1月に西宮児童相談所が長男の処遇を決定すると、森安九段を殺したのが誰か分からないまま、事件に関する報道は示し合わせたように一切されなくなりました。
誰が考えても犯人は長男なのに、そう断言するメディアはなく、また少年法に護られて児相がどんな処遇をしたのかも不明のまま、事件は風化しています。
当時より少年犯罪に世間が厳しい目を向ける現代では、実名や顔写真がネット上で拡散されるのでしょうが・・・。
おそらく生きているであろう長男は、現在38歳。
果たして、どこで何をしているのやら?