日本ではあまり知られていませんが、今日は西洋人で初めて北極点に到達したといわれる探検家、
ロバート・エドウィン・ピアリー
Robert Edwin Peary
の命日・没後100周年にあたります。
ピアリーは1856年にペンシルバニア州クレソンで生まれましたが、父親を3歳の時に亡くすと母と共にポートランドに移り住み、ボルデウィン・カレッジで土木工学の学位を取得。
1877年に卒業した後、米国沿岸測地測量局でエンジニアとして働き、1881年から海軍に入隊。
その後ニカラグア運河調査の助手などを務めた彼が北極に関心を持つようになったのは、1891~97年にかけて4度グリーンランド探検をしてからのこと。
その間現地イヌイットの女性と結婚し2児をもうけた彼は、翌1898年に北極点到達に挑戦するも、失敗。
そして1909年4月6日、ピアリーら6名(アメリカ人2名・イヌイット4名)が北極点到達に成功した・・・といわれています。
この宣言により、それまで同様に北極点を目指していたアムンセンや白瀬中佐らは南極点に目標を変えることに。
※アムンセンに関する過去記事は、こちら。(↓)
「したと言われている」 と伝聞形で書いたのは、実際に西洋人として初めて北極点に到達したのが彼だ、という確かな証拠がないから。
この探検から帰還後、以前共にグリーンランド探検をしたものの本の出版を巡ってピアリーと衝突・決別したフレデリック・クック(1865-1940)が、
「自分は1908年4月21日、北極点に到達していた。」
と主張し、論争が巻き起こりました。
調査委員会まで設置され事の真偽が審査されましたが、クックが以前宣言したマッキンリー初登頂がウソだったという証人が現れたことで彼の発言の信憑性が疑われ、結局ピアリーに軍配が。
しかし後日、その証人に対しピアリーから現在の貨幣価値で約1千万円もの大金が渡されていたことが明らかになっていますから、偽証の疑いが非常に強いのです。
当時ピアリーのバックにはナショナル・ジオグラフィックやニューヨーク・タイムスがついていたそうですから、彼はメディアによって力ずくで英雄に仕立て上げられたとも言えます。
※クックはその後偽証の罪で収監されるなど、不幸な後半生を歩みました。 実際に北極点には到達していなかったようですから、ある意味身から出た錆とも言えます。
しかし彼の名誉のために付け加えますと、その探検技術は一級品だったようで、前述のアムンセンもそう証言しています。
またピアリーの到達地点は後の調査で北極点から約6km離れた場所だったことも確認されていますから、果たして彼を西洋人初の北極点到達者と認めていいのかどうか・・・。
ただ最初の北極点到達に失敗した際、凍傷により足の指8本を切断したにもかかわらず何度もチャレンジした彼の探検家スピリットは一級品だったことは確か。
いや、もしかしたらスポンサーの関係で止めるに止められなかったのかもしれませんが・・・。