先日、東京で我が母校・長野市立東部中学校のクラス同窓会が行われました。
「えっ、何で長野でなく東京で?」
と不思議に思われる方もいらっしゃると思いますが、これには伏線が・・・。
実は4年前にも長野市で同窓会が行われたのですが、私は仕事の都合で東京を離れることが出来ず欠席。
その時に会場から私の携帯に電話がかかってきて、何人かの同級生と話したのですが、その際に、
「オレは東京離れられないんだょ、ゴメン。
4年後はみんな60歳になるから、その時は還暦同窓会を東京でやろうョ。 そうしたら、オレが幹事役引き受けるからサ。」
と半ば冗談で言ったんです。
そしたら今年の春、突然同級生の女性から
「ねぇ渡辺クン。 いつ東京で同窓会やるのョ。」
とメールが来たんです。 電話を切った後、長野の同窓会々場では
「それはいい。 4年後は是非東京に行こう!」
と盛り上がったのだそうですが、そんなことなど露知らぬ私は、そのメールにビックリ仰天。
しかし自分で言い出した手前、逃げるわけにも行かず。
長野在住の女性の協力を仰ぎつつ、幹事役としていろいろ手配を始めました。
当初は帝国ホテルにでも一泊して、翌日はとバス観光でも・・・と思ったんですが、やはり年齢的に親の介護とか諸事情を抱える同級生が多く、日帰りプランに決定。
大手広告代理店に勤務しているY君の紹介で、白金台に今夏オープンしたばかりの高級レストラン 『ラリューム』 で豪華なランチを楽しみながらの同窓会となりました。
『ラリューム』 さんが用意してくださった特別メニュー
現在長野県伊那市にお住まいの、81歳になられる恩師・M先生に出席の打診をしたところ快諾を得て、男性3名・女性7名の同窓生が東京に集合。
当日、高速バスにおひとりで乗られて上京されたM先生を私が新宿で出迎えたのですが、44年ぶりの再会にも拘らずバスから降りてこられた瞬間、
「おぉ、渡辺君!」 「あっ、M先生、お久しぶりです!」
と瞬間的に分かり合えたのには、ちょっぴり感動しました。
恩師とのツーショット
クルマでレストランまでお連れすると、開宴1時間近く前にも拘わらず、既に長野からやってきた女性陣が待ち構えていました。
いやァ、気合が入ってます。
女性陣とも44年ぶりの再会・・・彼女達から
「ねぇ、渡辺クン。 私のこと憶えてる?」
という尋問(?)を受けましたが、彼女らにも中学生時代の面影がしっかり残っていて、名前と顔はピッタリ一致。
「みんな変わらないねぇ。 若い、若い。」
「イヤだァ、ウソばっかり~。」
なんて言いつつ、昔話に花が咲きましたが・・・しかし女性って、ホント昔のことをよく覚えてますねぇ。
男性陣が全く憶えていないことも、女性同士ではみな記憶を細部まで共有しているのには驚くやら感心するやら。
『流浪の民』 を合唱したことも、しっかり憶えてしました。(↓)
ただし、レストランにはビアノが無く他のお客さんもいたので、残念ながら今回は歌えませんでしたが・・・。
それと共に、40年以上経ってから初めて知った当時の驚くべき事実がいくつか露見。
私は1個も貰わなかったのに、同級生の女性は他の(組の)男子にバレンタイン・チョコを上げていた事。
正直、ショック・・・。
そしてその女性陣が京都へ修学旅行に行った際、宿泊したホテルの真向かいの旅館に泊まっていた他校の男子生徒と知り合い、その後クラスぐるみで文通していたってのには驚きました。
私を含め男性陣は1人も知りませんでした・・・が、M先生はちゃんとそれを把握していたとの事。
その上で文通を禁止しなかったそうですから、さすが!?
でも今回の同窓会で最も印象に残ったのは、M先生のご健勝ぶり。
なんと私たちに還暦祝いとして七言絶句の漢詩を作って、参加者一人一人に自ら筆を取って色紙に認め、その解説文までPCで作って手渡してくださったのです。
しかもご挨拶いただいた時には、それを朗々と吟じてくださいました。
そう言っては何ですが、体育教師でバレーボール部の顧問だったM先生が詩吟をされていたとは驚きました。
でも畑仕事に精を出し2世帯同居で毎日孫の世話をしている元気なお姿を拝見しただけで、還暦を迎えた同級生は皆元気をもらったはず。
恩師は、引退後も私たち生徒に老後の生き方を身を以って教えてくださったのです。
お互いの健康を祈念しつつ、アッという間に3時間余りの同窓会はお開きとなりました。
今後はあまり間を空けず、先生や皆が元気なうちにまた温泉地か東京、あわよくば海外で同窓会を開こうと誓いあって・・・。
いやぁ、歳を取ってからの同窓会っていいもんですねェ。
※おまけに、ビフォー・アフターの画像も貼っておきます。
女性陣が内緒で文通相手を見つけた修学旅行(↓が先生と私)