私もそうでしたが、学生時代の修学旅行で京都に行かれた際、朱塗りの建物が美しい平安神宮に行かれた方は多いと思います。
同神宮は1895(明治28)年4月に、平安遷都1,100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏を復元する形(実物の5/8スケール)で建立され、桓武天皇を祀っているのですが・・・皆さんは過去にこの神殿が焼失したことをご存知でしょうか? その
平安神宮放火事件
が起きたのが、今から47年前の今日でした。
犯人は、加藤三郎なる新左翼活動家。 彼は
「自らの権威誇示のため、民百姓に塗炭の苦しみを与えるような平安京を造営し、また領土的野心のために蝦夷を侵略し、蝦夷人を虐殺・奴隷化した桓武天皇を祭神として祀ることは神に対する冒涜」
だと考え、平安神宮の放火を決意。
1976(昭和51)年・正月の初詣参拝客に紛れて下見を行った彼は、同年1月6日午前3時30分過ぎに同神宮内拝殿に放火。
同神宮は明治時代に建立されたため文化財指定を受けておらず、当時の消防法の規定適用外だったため自動火災警報が設置されていなかったため発見が遅れ、消防局が最高レベルの全出動をかけたものの火の勢いは収まらず。
結局内拝殿や本殿を焼失し、辛うじて外拝殿への延焼を食い止めるに止まりました。
犯人はその後現場近くの京都会館や京都市美術館に犯行声明の電話をかけました・・・が、メディアは電話があったことのみを報道し、殆ど話題にならず。
そこで犯人は2月11日に「桓武朝廷軍による蝦夷征伐を継承する天皇制日本帝国に対して宣戦布告する」旨の犯行声明文を新聞社に郵送。
しかしこれも公表されなかったことに彼はますます敵対意識を強め、その後1977年1月から11月にかけて、梨木神社・東急観光・東大法文1号館・三井アルミ社長宅・神社本庁・東本願寺と、次々爆破事件を起こします。
指名手配された犯人は、その後1978年元旦に潜伏先のアパートで手持ちの爆弾を小規模ながら誤爆させてしまったことから、以後は爆破事件を起こさず逃亡生活に専念。
1983年5月に逮捕された時には、インドの精神指導者・ラジニーシの思想に感化されていた彼が合掌するなどして話題になったようですが、放火の罪により1989年に懲役18年の刑が確定。
2002年に出所した彼は、放火した東本願寺を訪れて謝罪し、そのしるしとして現金1万円(!)を差し出したといいます。
東本願寺は仏の心を以って許したそうですが・・・。
なお、さすがSNS時代というか、現在岐阜県内に暮らしているという犯人は、FBやブログで当時の犯行の模様などを謝罪の言葉を織り交ぜながら語っていますので、興味のある方は覗いてみてください。
まぁ個人的には〝三つ子の魂百まで〟というか、あまり考え方は昔と変わっていないように感じますが。😨
もし本当に反省しているならば、寄付金によって3年後に再建なったとはいえ、平安神宮に1万円以上の寄付金でも納めて欲しいものですが・・・したのかナ?