皆さんは、江戸時代に最も幕府に影響を及ぼした女傑といえば、誰を思い浮かべるでしょうか?
おそらく私を含め多くの方が、彼女の名を挙げることでしょう。
春 日 局
今日は、多くの歴史ドラマに登場する、徳川家光の乳母にして彼を3代将軍の地位に就かせた最大の功労者であり、江戸幕府隆盛の基礎を築いたといってもよい、この女性の命日にあたります。
本名を斎藤福(ふく)といい、美濃の名代・斎藤一族の血を引く彼女は1579(天正7)年生まれ。
父・斎藤利三は明智光秀の家臣として本能寺の変に加わり、山崎の合戦で羽柴軍に破れ処刑されたものの、福は女性であったために許され、母方の親戚の公家に預けられました。
ここで書道・華道などの教養を身につけたことと、関が原の戦いで戦功著しかった稲葉正成の後妻となったことが、竹千代(後の家光)の乳母に任命された要因になったとか。
2代将軍・秀忠と正室・お江与は、長男・竹千代よりも弟・国松(後の忠長)に目をかけ、自らの手で育てていました。
春日局は竹千代をお世継ぎにすることを画策、家康に直訴するなどして首尾よく3代将軍の地位に就かせることに成功。 (後年、家光は弟・忠長を謀反の疑いありとして切腹させています。)
以降は公家と関係をも深めるなど、今から376年前の今日・1643(寛永20)年9月14日に64歳で死去するまで、人事権を含め幕府政治に隠然たる力を保持したといわれています。
(※なお、彼女と家康がただならぬ関係にあった、あるいは家光が実子であったなど諸説があります。)
さて、春日局の残した功績(?)のひとつに、『大奥』 の整備があげられます。
映画 『大奥』 より
もともと家康の時代から大奥という場所は城内に存在していたそうですが、これを私たちがドラマ・映画で見るような状況に確立させたのが春日局なのだそうで・・・。
本来は将軍の正室が 『御台所』 として君臨する大奥。
しかし家光の正室・鷹司孝子は彼との仲が悪かったため、春日局は彼女を本丸から追い出して自らが実権を握り、若い頃男色に走った家光のために、お万の方などの女性を側室として次々と大奥入りさせたそうな。
いやはや、ここまで面倒を見てもらう状況では、将軍とはいえ家光もすっかりマザコンならぬ〝ウバコン〟(?)・・・彼女には、全く頭が上がらなかったことでしょうネ。
育ての子の実母、そして正妻をも押しのける春日局の頭脳と行動力はまさしく〝女傑〟と言うに相応しい貫禄。
やはり歴史は女性によって作られているようです。