強硬派 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日は、クイズからスタートです。

①70歳のトランプ大統領が誕生するまでは、歴代最高齢の69歳349  

  日で就任。
②歴代唯一の離婚経験者


だったアメリカ大統領は、誰でしょう?

・・・正解は、

 

 ロナルド・ウィルソン・レーガン  

      Ronald Wilson Reagan

 

今日は、今でもアメリカ国民の人気が高い、この第40代大統領の命日・・・日本流にいえば、十七回忌にあたります。

 

        

 

レーガン大統領は1911年のイリノイ州生まれで、高校時代はライフガードとして活躍。

 

1932年に同州のユーリカ大学を卒業すると、幼い頃から話術に才能があった彼はシカゴ・カブスのラジオ・アナウンサーに。


その後はハリウッドで映画俳優として準主役を務めるなど、通算19本の作品に出演。 

 

1940年に女優と結婚するも、8年後に離婚。 

 

そしてその4年後に同じく女優だったナンシー・デイビスと再婚・・・彼女が後にファースト・レディーとなりました。

 

        レーガン大統領

 

映画俳優組合の委員長を努めたレーガン氏は、やがて選挙支援活動を通じて政治の世界に関わるように。

 

カリフォルニア州知事を経て、前任のカーター大統領の失政も手伝って選挙に勝利し、1980年に念願の大統領に就任。

 

彼が在任した2期8年は、東西冷戦の終焉という世界史上における大きな転換期でした。

 

ソビエトを〝悪の帝国〟 と名指しするなど共産圏と強硬な対決姿勢を鮮明にし、また〝レーガノミックス〟 と呼ばれた減税・規制緩和を主軸とした経済政策を打ち出して強いアメリカ復活をアピール。

その成果をあげたことで、国民から高い支持を集めました。

 

同時期に我が国の総理大臣だった中曽根康弘氏とは、〝ロン・ヤス〟 と呼び合うほどの友好関係を構築。

レーガン大統領が来日した時、日の出村の山荘に招かれてホラ貝を吹いたシーンは、今でも記憶に残っています。

 

そして彼の人物像・器量を物語るエピソードとして私が最も印象深いのは、彼が暗殺未遂事件に巻き込まれた時のこと。

 

大統領就任まもなくの1981年3月30日、ワシントンのホテル裏口を出たところで狙撃され、ブレイディー大統領報道官やSPが負傷しました。(↓)

 

※この事件で後遺症を負ったブレイディー氏は、後に自らの名が冠された有名な銃規制法案の成立に尽力しくした。(↓)

パニック状態の現場で専用車にレーガン大統領がSPに押し込まれる緊迫した場面は、まるで映画さながらでした。

 

実はこの時彼自身も1発被弾しており、銃弾は心臓を掠めていて相当深刻な状況だったとのこと。

んな中で病院に搬送された彼は、摘出手術前の担当医たちにこう言ったそうです。

 

「君達が共和党員だといいんだかねェ。」

 

執刀外科医は民主党員だったのですが、その彼の返事もふるってました。

 

「大統領、今日1日我々は皆共和党員です!」

 

全身麻酔が必要な程の大手術は、見事に成功。
当時70歳だったレーガン氏は3週間以内に退院し、執務に復帰したのです。

 

命に関わる状態でもジョークを発する度量と、驚異的な回復力・・・大統領になる人間は、やはり並み大抵じゃありませんネ。

 

しかしそんな大統領も、年齢には勝てず・・・引退後の1994年に自らがアルツハイマー病を発症していることを公表し、2004年6月5日に肺炎のため93歳でこの世を去りました。

 

〝強いアメリカ〟の象徴であった、名大統領のご冥福をあらためてお祈り致します。笑3

 

 

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