今日は、戦前からの昭和から平成時代に渡って日本映画界の第一線で活躍された、
市 川 崑 監督
の命日・没後10周年にあたります。
1915(大正4)年に現在の三重県伊勢市に生まれた市川氏は、少年時代に観たディズニーのアニメ映画に憧れて現在の東宝京都撮影所・トーキー漫画部に入所。
病弱だったため2度の召集令状を免除された市川氏は、戦前に短編アニメを発表して助監督に昇進。
京都撮影所の閉鎖に伴って、世田谷区砧にある東京撮影所に転勤しました。
そして彼の名を一躍世界に知らしめたのは、総監督を努めた映画
『東京オリンピック』
当初予定されていた黒澤明監督が降板し、そのピンチヒッターとして市川監督がメガホンを取ったこの作品は、当時の担当大臣・河野一郎氏が 「記録性に欠ける」 と批判したことで、〝記録か、芸術か?〟と大論争を巻き起こしました。
私は小学生の頃体育館で観賞しましたが、たった10秒の陸上・男子100mを何台ものカメラで捉え、なおかつスローモーションを駆使した画像は、子供心に凄い緊張感を味わったことを憶えています。
※その男子100m決勝の場面が、こちら。(↓)
また個人的に市川監督作品で最も印象に残っている作品は、『犬神家の一族』(1976年)。
湖面に刺さった死体の、枝のように水面から出ている二本の足・・・あれは、大野雄二氏作曲の弦をつまびくような主題テーマと共に、未だ忘れられない衝撃的なシーンです。
(2006年に同じ市川監督・石坂浩二主演のコンビでリメイク版が公開されましたが、私は前作のイメージを壊してしまいそうで、敢えて観ていません。)
その他にもTVドラマ・『木枯らし紋次郎』 シリーズ、大原麗子さんを起用したウィスキーのCM等々、市川氏の活躍の場は映画に留まらず、アニメからドキュメンタリー、テレビに至るまで多岐に渡りました。
黒澤明監督を〝映画の巨匠〟とするならば、市川氏は〝映像の名匠〟と言っても過言ではないでしょう。
撮影中はもちろん、常に抜いた歯の隙間にたばこを挟んで吸っていた市川監督・・・時には編集中のフィルムを焦がしたこともあったとか。
2008年2月13日、愛煙家の宿命といえる肺炎により92歳で大往生を遂げた、温厚な性格で多くの役者やスタッフに愛された庶民的名監督のご冥福を、心よりお祈り致します。
・・・さて、2年後の東京五輪を撮影する監督は、誰なんでしょう?
というか、映画が制作されるのかナ?